【特設サイト】『再審・本能寺の変 光秀に信長は殺せたのか?』特設サイト

『本能寺の変 光秀に信長は殺せたのか?』特設サイト!

信長を殺した真犯人は誰だったのか?
光秀に信長は殺せたのか?
当時のデータや地図から読み解く、新しい日本史!

【内容紹介】

増水した桂川を光秀はどうやって渡ったのか?
信長暗殺に大軍は必要だったのか?
データと地図から見る「本能寺の変」とは?

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放映開始を受け、
その主人公である明智光秀が起こしたとされる「本能寺の変」に焦点を充て、
これまでの古文書のみに依存する史実解釈から脱し、
地形・天候・位置関係・現場状況・当時の風習や思考方法などを詳細に検証し、
その結果と各種の関連古文書の内容とを丁寧に照らし合わせることで、
その実行可能性を含め、「本能寺の変」の実像、信長・信忠父子の死の真相に迫る。

これまで疑うことすらなかった様々な疑問点を再審のための争点として複数列挙し、
その具体的な検証を行い、これまでの定説に基づく反論も提示しながら、
客観的な第三者としての複数の陪審員の意見を掲載する。

書籍詳細はコチラ

 




【読者のご意見、公開中!】

■検証のための資料の提示の仕方がうまい。

読んでいるうちに自分なりの仮説を立ててしまい、疑問点があると次の節でそれを指摘してくれたりして、どんどん誘導されてる感じがするほどのめり込んでしまう。最後部分でしっかり自分が考えていた事を言ってくれるのも面白かった!

このすじで大河もやってもらいたいですね(笑)
啓文堂書店狛江店 阿久津 洋明 店長


■すらすら読めました。

「本能寺の変」に詳しい人も詳しくない人にもオススメです。

「本能寺の変」に詳しくない人は一からわかりやすく学べる本になっているし、詳しい人でも「あの部分どうだったかな?」など頭の中で混乱しやすい部分が地図や図版を用いてわかりやすく説明されてるので、整理しながら読めます。

自分の中の「再審部分」を見つけていく一助になり、どんな読み方もできる本です。

地図等を的確に使っているため地形のイメージもつきやすく、まるで一緒に行軍してるような気持ちになります。

紀伊國屋書店新宿本店 鳥羽さん

 

■とても面白かった。

【毛利策略説】を提唱します。
・毛利元就が織田の中国攻略に備えた策略
・タカ派のふりをしている元春と、慎重派に見える隆景が、織田軍が西進してきた際の策略として残されていた元就の作戦を遂行・指揮した。
・村井貞勝は毛利家の諜報頭領(スパイ)、つなぎは足利義昭。
・光秀を犯人にしようと起案したのは村井。
・本能寺の実行犯は、浄土真宗の一向宗を忍びとして海路で運んだ。
・結果して西進が止まり、豊臣政権での要職も確保された。
・村井、および実行犯は信忠とともに口封じで消された。
 taptapさん

 

常に疑問だったのは、眼下に流れる保津峡です。

何故、川下りで、兵を移動させなかったか常に疑問でした。
保津峡は角倉了以によって開削されましたが、それ以前も下る事は可能だったのでは無いでしょうか?
特に光秀は、亀岡城築城するにあたり、亀岡から見て、保津峡の入り口とも言える、請田神社あたりを堰き止めて、亀岡盆地を水浸しにして、敵からの攻撃を防ぐ事を考えていたと伝わっています。
その光秀が、保津峡を下って、兵や物資の輸送に使っていたのではないでしょうか?
夜間の川下りにしても、事前にかがり火を焚けば安全に下れるとおもいます。
今回、P53に記載されていた、本能寺を包囲するには400名程度で十分との事と、P43の桂川の水量はヒントになりました。
亀岡から保津峡下りの船のように、船を使って下れば、京都まで1時間程度で着くことが出来ます。保津峡下りの船は16名乗りですから、仮に1隻に20名載せれば、20隻で済みます。
光秀が、船を使って兵を送り込んだ可能性も検討すべきでは無いでしょうか?
更に、下記の点を疑問に持っていました。
1:何故、あれだけの兵がありながら、信長、信忠を同時に襲撃しなかったのか?
2:京都は盆地で、何故、周囲への抜ける道(鞍馬、大原、荒神、粟田、伏見、竹田)に兵を配置し、逃亡を防ぐ手立てをたてかったのか?
3:あの狭い京都の道に1万3000の兵士を配置できたと思えない。
やはり、同時に信長、信忠を同時に襲撃しなかった、周囲への抜ける道(鞍馬、大原、荒神、粟田、伏見、竹田)に兵を配置しなかった事が、この事件のカギではないでしょうか?
真犯人は信忠で、織田家臣団の主要なメンバーが共犯で、単に光秀は少数の兵で信長を捕らえ、退位をさせて、翌日に本隊と共に、信忠、誠仁親王と共に閲兵を受ける予定だったと思います。
では、何故、信忠が信長を退位させようとしたのかは、信長の老化現象で、まだらボケが起こった事で、政治に安定性を欠いたからでは無いでしょうか?
嵯峨野ランナーさん

当時の地図など図解が多く、楽しませていただきました

光秀が朝廷にそそのかされて及んだのではないかと思いました。
時流のよめていない朝廷側が、変の後の現実に追いつけず光秀は見殺しになったのではないかなと思いました。
本能寺の周りに1万人はおろか数百人しか配置できないなど、今まで考えてもみませんでした...
今まで歴史書などの記載を鵜呑みにしてたことに気づかされました。
t.mさん

■事変そのものの分析を進めた構成が評価できる

与力しなかった細川藤孝をなじる文書が残っていたり、山崎で秀吉軍を迎え撃とうとしたことから、当事者意識はあったのではないかと思われるので光秀が班員だと思いました。
光秀の動機よりも事変そのものの分析を進めた構成は評価できる。円堂晃氏著「本能寺の変 本当の謎」でも同じような分析がされているが、意外に疎かになっている視点だと思う。
コージさん

とてもおもしろかったです。