シャバに出てから──『智の涙』その後 第2回

第2回 親切なシャバの人

矢島一夫

(前回は、これまでの私の経緯を、わたしの本『智の涙』の一部を公開しながら書いてみた。わたしは、刑務所を出てから自分がどんなふうに過ごしているかや、シャバに出てから出会った周りの人とのエピソードを、何年も書き留めてきた。その中から少しずつ紹介したい。)

めざましく都市化した街、仙台。駅前のバスターミナルと東西南北に広がるペデストリアンデッキ。その地上回路からビルや歓楽街など商業地域へ続く道を行き交う人々の群れ。

まるで時が止っていたかのような空間にいた自分には、見る情景がすべて新鮮だった。

囚人生活特有の、むさい・くさい臭いが染みこんでないかを気にして歩くシャバの道。

洒落た喫茶店からは珈琲の香り、すれ違う人たちからは優雅な化粧品の香り。まるで囚臭に煤けた鼻腔を洗ってくれるような気がした。

シャバはいい! シャバの空気はうまいと実感した。

永い獄中生活から解き放たれたわたしは、現代の浦島太郎。右も左もわからない。地に足がつかないとか目が空虚というのは、こういう状態を言うのか……笑えない!

関東へ帰省する前に買い物をするため、わたしは店を探していた。その店の所在がわからず右往左往したあげく、誰かに尋ねることにした。

夕暮れ時、地上回路の片隅で生鮮野菜を産地直売している若い人がいた。

その男性に、わたしは目指す店の所在を尋ねた。するとその青年は、商いをそっちのけでわたしと歩を共にしながら案内してくれた。

なかなかできることではない。感動と感謝の思いで、帰りにはその店から野菜と果物を買う。

翌日、お礼に行った。しかしその青年はおらず、その日は身内と思われる女性がいた。

前日、親切にして頂いた件を話し、永い極中生活から解き放たれた身が体験した市民社会の親切で、また心が洗われる思いだったことを伝えた。

すると彼女は、驚愕と同情の表情で理解と激励の言葉をくれた。「大変でしたね」「すごいですね」「頑張ってください」と言ってくれた。その言葉と表情に、差別や偏見はかけらもなかった。とても嬉しく、涙が出た。

仙台を離れる前日、別れの挨拶に行ったが、雨降りで商いも中止なのか、青年と女性には逢えなかった。

わたしは、前夜に書いておいた手紙を渡そうと思ったがそれができず残念だった。その手紙は、こういう内容だった。

〈めざましく発展した見知らぬ街であなたたちの親切に出会い、良い思い出を持って妻子のところへ帰れます。

42年間の獄中生活を総括して、社会のために活かす。日誌を活字にするようなことがあれば、あなたたちとのこの良き思い出は赦免花の一つとして咲かせたい。

人はなぜ罪を犯すのでしょうか。罪犯者が特異な存在なのでしょうか。絶対に違う。

なぜなら、昨日までは善良なる市民のはずだった人が、今日は加害者になり被害者になる。

金がもの言う商業主義の社会で、みんなが生存競争をやっている。人生ハンディ戦の中で金が生活と人格を支配してしまっている。

くう・ねる・あそぶと浪費がまるで人徳の象徴のようになり、利己主義と個人主義が同胞の存在を見えなくさせてしまう。それが「市民社会」の現状だと思うんです。

全知全能・完全無欠な人間はいないのに、日々の省悟を怠れば、親・子・男・女の権利だけがいろんな場面で強弁される。これも現実ですね。

それがわきまえられブレーキやコントロールできる人間は良いが、できない人は罪作りに至る場合が多い。

子殺し、親殺しがあり、夫婦や恋人であった関係を平気で裏切り、殺す。保険金をかけて殺すことだってする。幼女や少女が突然さらわれたり遺体で発見される。

いつの場合も力は強から弱に向けられる。

こうした犯罪はいつも明確な形で現われるわけではありません。一つの事件が起きた後に、その動機とか心理が問題になった時、「えっ、そんなことで……?」という声をよく耳にする。たとえばこんな場面を想像してほしい。

通り魔事件とか社会で起きる「凶悪」事件なども、職場や近隣、地域で差別や無視、排外を受けたことが心の傷となり、それを自分の改善や社会的な問題解決の方図がわからず、自我の昂揚にブレーキがかけられなくて事件に至ったケースもあります。

途方に暮れた刑務所からの出所者が、金も無く都会の砂漠で迷った時に、道を尋ねても無視され邪険にされたらどうでしょう。絶望・自棄からまた罪を犯して塀の中に安住の地を求め、無銭飲食・かっぱらい・殺人等で獄中志願をする例はよくニュースになりますよね。

生活保護を受けていても、職に就けず、人間関係が疎遠で、自立や人生再建がままならない時、自暴自棄から罪作りに至るケースもあります。悲惨です。おぞましいです。

そういう元罪人のわたしが、こうしてあなたたちと出会えた。この小さな掛け橋の中に、社会を明るくする小さな灯があるような気がして、この手紙を書いています。

そういう意味からも、あなたたちの親切な対応は、わたしにとって「良い思い出作り」の典型であり、あなたたちは人を一人救ったことになります。

あなたたちがしてくださったわたしへの親切、その思いやり、仁慈の具現化。そのことによるわたしのさらなる洗心と人生再建の決意。それは同時にすべての罪犯者たちが、更生の道を開拓する問題にシンプルで実に良い典範を示してくれたと思います。

わたしの人生、残り時間はあとどのくらいあるのかわかりません。が、困難辛苦と出会った時はあなたたちのことを思い出して、自分の弱さに打ち克ち、のり超えます。

8時5分発のやまびこ124号に乗って、明日42年ぶりに妻子のもとへ帰ります。

心優しいお兄さん、お姉さん、ありがとうございました。さよならは言いません。またいつかお逢いできる日を信じているから……。お元気で!

2014年7月9日。ろくでなしより〉

メモ帳に書いたこの手紙を、小さなビニール袋に入れてあの人たちがやっていた露店のあった場所にそっと置いた。

後ろ髪を引かれる思いで振り返ると、雨に濡れたビニール袋は華やかなネオンの光をはね返していた。

あれから一年になろうとしている。

高齢・失業・人間関係の希薄・生活保護という状況で、自立には八方ふさがりの現在。自分はこんな状態でどんな道を行けばいいのだろう。

保護観察官や保護司は、仕事は見つかったか、自立しろと言うけれど、現在の社会では仕事を見つけようがない。自立どころか生かさず殺さずで穀潰しの状態に置かれている。

仙台で、自分の商いを放っておいてもわたしに尋ねた店への道を教えてくれた一市民のように、出所した無期囚に、就職や社会的自立への道を教えてくれる人はいないのだろうか。

生活や人生で困難辛苦と遭遇する。迷う、不安になる、そんな時、親切にされ、助言やリードを受けたら、それは必ず感謝され、良心を感化される。逆に、窮状を無視されたり邪険にされれば、心の傷になり、人間不信となり、心と心の橋は架からない。

前者は社会的な実践の規範となり、後者は人間同胞愛の欠けたものであり、そこからは疎外と罪作りにつながる場合もある。

人として、社会人として、つとめなくてはならないのが倫理道徳の道だろう。思いがけず受けた一つの親切から、わたしはそのことを考えさせられた。

自分はいま、どんな道を歩いているのか。

正しいと思っていても誤った道を歩いている場合もある。鏡があれば自分の顔が汚れていれば拭えるし、服装の乱れも直せる。これと同様に、誰もが生活の現場で他者(ひと)を自分の鏡として道(ものの見方・考え方・行動の仕方)を修繕していくことが大切なのでしょうね。

【ライタープロフィール】

矢島一夫(やじま・かずお)

1941年、東京世田谷生まれ。極貧家庭で育ち、小学生のころから新聞・納豆の販売などで働いた。弁当も持参できず、遠足などにはほとんど参加できなかった。中学卒業後に就職するが、弁当代、交通費にも事欠き、長続きしなかった。少年事件を起こして少年院に入院したのをはじめ、成人後も刑事事件や警官の偏見による誤認逮捕などでたびたび投獄された。1973年におこした殺人事件によって、強盗殺人の判決を受け、無期懲役が確定。少年院を含め投獄された年数を合わせると、約50年を拘禁されたなかで過ごした。現在、仮出所中。獄中で出会った政治囚らの影響を受け、独学で読み書きを獲得した。現在も、常に辞書を傍らに置いて文章を書きつづけている。