あてにならないおはなし 第27回

阿部寛

たまり場ユンタークのメンバー・さっちゃんとご近所をめぐるトラブルは、さっちゃんの全身全霊をかけた叫びによって、地域住民の「承認(あきらめ)」を勝ち取って、彼女のたまり場通いは続くこととなった。

さっちゃんと地域住民のやり取りを読んだ読者から、たくさんの感想が寄せられたが、その中のいくつかを紹介したい。

「涙しました。さっちゃんの叫びに地域住民が心打たれた場面。生身の人間の声ってほんとうに大切なんだな、響くんだな、って。叫べたさっちゃんもすごい?

こういういろんなぶつかり合いが大事だなあ、なんて思いました。」

「思わずガッツポーズが出ました」

「さっちゃん強し!ですね。<いつでもおいで>を真に受けて被害者宅に毎日遊びに行くってところに笑ってしまいましたが、これぞまさしく地域の力ですよね。」

「さっちゃんはどういう人なんだろう。とても興味が湧きました。さっちゃんと今でもつながっていますか?」

「さっちゃんが地域住民の理解を得た(地域住民がさっちゃんの必死の訴えに根負けした??)。これはたまたまレアな奇跡のように思いました。日本人は右ならえ性質の高い民族ですよね。それは日本人の特徴、特性、特有であると思います。

だから中々、自分たちと異なる特性の人を受けいれるのは難しい。病院から退院してきたおばあちゃんの柔軟性も優れていた。」

読者から寄せられた感想を読みながら、三十数年前の住民から発せられた罵詈雑言とそれに対峙するさっちゃんの凄まじい形相と訴えが鮮明によみがえり、恐怖と感動が混在する複雑な思いが沸き起こった。

退院してきたばかりのおばあちゃんが、見ず知らずの者からプラスチック製とはいえ銃を向けられれば脅威を感じるのは当然で、もはや「遊び」の限度を超えている。「得体のしれない奴」は排除する。ウチとソトを線引きし、トラブルを目撃しなかった者でさえ、あたかも直接の被害を被った「当事者」のごとくふるまう。これも、地域コミュニティに長らく住む者たちからすれば当然のふるまいだった。たまり場が所在する地域は、ドヤ街寿町から徒歩10分とかからない貧困地域で、在日コリアン、被差別部落民、沖縄出身者などが混住する街だ。戦争によって翻弄され、日本国によって抑圧される中で、マイノリティの人々が肩寄せあって生きてきた。

その歴史的事実は、非常に重要だ。でなければ、「さっちゃん事件」は和解に至らなかったかもしれない。

「加害者」であるさっちゃんが、「被害者」の地域住民の前で、それまで経験した人生の悲哀を語る場面が生じただろうか。

さっちゃんが、自分の身に起きた悲しみ・苦しみ・絶望の数々を語り、「生きたい」という必死の訴えをすることができただろうか。

あの場に立ち会ったわたしにも、大変なことになってしまったという動揺はあったが、地域の住民とさっちゃんとの「攻防戦」は、怒りの爆発という激しく一方的な攻撃から、穏やかな対話へと変化していった。

「被害者」・「加害者」双方の間を隔てていた頑なな心の壁に少しばかりのひび割れができ、対話が始まったように思えた。

これは、私自身の絶望や失望、断念を経た上での「念願」を含む「経験知」なのかもしれない。さまざまな出来事に立会い、不満や悲しみ、喜び、感謝、非難を含む様々な感情とそれぞれの事情をぶつけ合い、知り合い、分かち合う、困難な協働作業を経て、諦めや断念や承認が生じる。そのプロセスの果てに「出来事」は「経験」となる。これは、瞬時の奇跡なのかもしれない。そして、わたしたちはこのような無慈悲の世の中に、わずかばかりの希望と光を発見して日々を生きているのかもしれない。

さて、さっちゃんのその後について、お話ししよう。さっちゃんは順調にたまり場に通い続けていたが、知人の紹介を介して、特別養護老人ホームの厨房スタッフとして働き始めた。そのため、彼女はたまり場に通うことができなくなった。

その後、老人ホームで事件が起きた。ホームの職員とさっちゃんとの間で言い争いが起き、さっちゃんが包丁を持ち出したというのだ。結果、さっちゃんは解雇となった。しかしその詳細は分からないままだ。その後、さっちゃんはユンタークを訪れることは二度となかった。

なぜ、さっちゃんと直接会って話をしなかったのか。

特別養護老人ホームでの事件について、なぜ事実を確かめなかったのか。

「ユンタークにまたおいで」と、さっちゃんに声掛けしなかったのか。

なぜ、ユンタークの仲間たちとさっちゃんのことについて話し合わなかったのか。

たくさんの「なぜ」が不問にされたままだ。さっちゃん自身が、今現在も置き去りにされたままだ。「置き去りにされた」という言い方もずいぶんと傲慢な言い方だ。

地域住民と相向き合ってしっかり発言できたさっちゃんだから、その後もしっかり生きているに違いないなどと、彼女を置き去りにし続けてきた事実の言い訳を考えている自分がいる。

すっかり、忘れ去っていた、というのが事実だ。

その後、彼女はどうされていますか?

今でもつながっていますか?

編集者からの、この2つの質問が、一番つらかった。

〜つづく〜

[ライタープロフィール]

阿部寛(あべ・ひろし)

1955年、山形県新庄市生まれ。生存戦略研究所むすひ代表。社会福祉士。保護司。20代後半から、横浜の寄せ場「寿町」を皮切りに、厚木市内の被差別部落、女性精神障害者を中心とするコミュニティスペースで人権福祉活動に取り組む。現在は、京都を拠点として犯罪経験者・受刑経験者、犯罪学研究者、更生保護実務者等とともに、ひとにやさしい犯罪学、共生のまちづくりを構想し共同研究している。