あてにならないおはなし 第25回

阿部寛

出会いの一瞬で
すべてはきまる
だから
その時のために
心を磨いておくのだ
名刀のように

仏教詩人・坂村真民の詩「名刀のように」

である。

出会いは、時空を超えて一瞬で成立するようだ。しかし、二人の出会いは、双方の絶え間ない「こころ磨き」があればこそ、閃光を放ち、発酵する。

前回の連載「上田親子の驚くべき生存戦略」に関して、たくさんの方々から感想・意見をいただいた。上田さんのことば、上田さん親子の生きざまが、たくさんの人の心を揺さぶり、励ましたようだ。

その中の一つ、ミキさんの感想をご紹介させていただく。

ミキさんとわたしは、神奈川県厚木市にある精神障害を抱える女性たちの居場所と就労支援施設「コミュニティスペース・アジール」(1999年1月開所)で出会った。約20年ほど前のことである。わたしは創設メンバー3人のうちの一人、ミキさんは通所者の一人だ。

遠い記憶をたどると、ミキさんは、県西部の町から通い始めた若者で、不安と心細さでよく泣いていた。そのたび、お母さんやお父さんが迎えに来た。

アジールは、県内で唯一、女性専用の精神障害者施設だったため、厚木保健所管内を超えて県内全域からメンバーが集まった。当事者ミーティングを「いのち」とし、市民交流と食文化の拠点をめざした。無農薬と有機農法で育った玄米と野菜を食材とする「玄米おにぎり喫茶はなしやぼの」を営業し、手作り弁当を宅配した。(コミュニティスペース・アジールは現在も活動を続けているが、残念ながら「はなしやぼの」は営業停止した。)

メンバーの中には、性暴力被害者メンバーもいるため、メンバーもスタッフも全員女性である。それ故、男性であるわたしは、日常活動の場面ではできるだけ関わらず、運営母体のNPO法人アジールの会の代表理事としての組織運営、浦河べてるの家との交流から生まれた「当事者研究」、精神保健福祉行政との協議、旅行やレクリエーション等に限定した活動に参加した。

ミキさんがアジールで活動したのは、わずかの期間で、遠方からの通所が困難だったため地元近くの施設に通所することとなり、その後の消息はわからなくなった。

ところが、20年が経ち、今年の2月に、ミキさんから突然連絡が入った。互いの住所を交換し、LINEをするようになり、「あてにならないおはなし」の大切な読者となった。

そして、ミキさんから「阿部さんとぜひ会いたい」とのうれしい、うれしいリクエストが届き、再会を約束した。

新型コロナ禍のため当初の予定よりずいぶん遅れたが、やっと念願かなって11月4日、再会を果たした。

JR桜木町駅(横浜駅の隣駅)で待ち合わせしたが、20年ぶりの再会にも関わらず、お互いにすぐわかった。彼女はわたしが日本酒好きであることを忘れずにいてくれ、地元の銘酒「丹澤山」を持参した。「物品提供に弱い」わたしは、もうそれだけで魂を鷲づかみにされた。1時間以上、互いの近況を一気に語り合い、彼女の様変わりに驚いた。実家を出て一人暮らしを始め、ピアサポーターとして活動している。

この日は、生存戦略研究会in横浜の開催日。2カ月に1回のペースで開いている研究会であるが、新型コロナの流行で長らく休止し、久々の開催だった。ミキさんは、ぜひ参加したいといい、初参加となった。そこで、上田裕子さんと出会った。

ミキさんは、上田さんの話を全身耳にして聴いていた。上田さん親子の人生に驚き、感動し、とりわけ真裕美については強烈な刺激を受けた。

11月15日、第24回の「あてにならないおはなし〜上田親子の驚くべき生存戦略〜」が彩マガにアップされた。

朝一番に連載を読んだミキさんから、「上田さんって、この前研究会でこんにゃくをくださった方ですか?」という、LINEが届いた。上田さんが研究会の参加者のために手作りこんにゃくを持参し、ミキさんもいただいて帰ったのだった。

LINEには、次のようなコメントが書いてあった。

「この前、上田さんと出会い踏み出せました。娘さんがとても一生懸命働いていると。それだけでなく何事にも一生懸命で、障がいがあったってそれがなんだという力強さを感じました。作業所に通っているからとどこか安心していました。」

ミキさんは就労に挑戦しようと思い立ち、計画相談の専門職に相談し、就労援助センターに登録することにした。昨夜は履歴書を書き上げ、緊張のためなかなか寝付けなかったが、今日はセンターを訪問し、登録してきた。

そして次回の研究会に参加して、直接上田さんにお礼を言いたい、と結んであった。

上田さんのことばと親子の生きざまが、ミキさんのいのちを励まし、人生の歩みを一歩前に進めた。うれしい出会いに立ち会うことができ、わたしも感激している。

11月の最終週には、わたしは体調を崩した。吐き気と嘔吐が止まず、息継ぎができない。胃の中のモノをすべて吐き切ると、腹痛が治まり朝方になって、昏々と眠った。翌日は、空腹を自覚し、わずかばかりうどんを食べたが、疲労は取れない。

ベッドの中で、いろいろな思いが駆け巡る。66歳という年齢と体力の衰え。「犯罪」という人生の苦悩を凝縮された状況に立ち至った人々との対話。認知症、精神障害や知的障害を抱え、日常生活に困難を伴う人々に伴走する成年後見の仕事。新型コロナ禍のため直接対面できず飲食をともにできない孤独とストレス。それらが凝縮され心身がダメージを受け続けたのか。

週後半は自身を励まし、あえて外出した。金曜日は成年後見の業務をした後、夜APS研究会(長期受刑者の社会復帰を実現する研究会)に出かけた。久しぶりの対面とZOOMのハイブリッドだ。互いに近況報告をし、3分間スピーチでは「最近掛けられたうれしい一言」をテーマに、参加者が一人ひとり順番に語りあった。わたしは、20年ぶりに再会したミキさんから「阿部さんと会いたい」と声を掛けられ再会したことを話した。研究会後、少人数での夕食をとり、心身ともに爽快となった。

山形に住む姉から「土曜に上京するから寛も出ておいでよ」と電話があった。築地で生まれ育ち、長らくアメリカ、フランス、イギリスで暮らしていた姉の友が、以前から約束していた浅草案内をしてくれる、という。

このチャンスを逃したらいつ実現するかわからないと思い、意を決して浅草へ向かった。

東銀座の歌舞伎座前で待ち合わせ、さっそく、江戸末期創業のうなぎ屋で昼食。絶品の味に舌鼓を打ち、からだが喜んでいる。食後、表参道ヒルズで開催されている絵画展へ。表参道や同潤会アパートの改修建築物等、あまりに様変わりした風景に驚き、あんぐり口を開けて眺めた。そして夕食は築地に戻って老舗のお店で和食をいただいた。週前半と後半とで激変した生活状況にもしっかり適応し、すっかり体調は戻った。

親しき仲間と合い、語らい、飲みかつ食べる。人との出会いは、ありがたく、最良の薬だ。

ぼちぼち生きていこう。

[ライタープロフィール]

阿部寛(あべ・ひろし)

1955年、山形県新庄市生まれ。生存戦略研究所むすひ代表。社会福祉士。保護司。
20代後半から、横浜の寄せ場「寿町」を皮切りに、厚木市内の被差別部落、女性精神障害者を中心とするコミュニティスペースで人権福祉活動に取り組む。現在は、京都を拠点として犯罪経験者・受刑経験者、犯罪学研究者、更生保護実務者等とともに、ひとにやさしい犯罪学、共生のまちづくりを構想し共同研究している。