僕がゲイで良かったこと 第17回

僕が(多分)同性婚をしない理由 5

(前回「もう少し続く・・・かも」と書いて終わりましたが、案の定、続きます。)

以前も書いたけど、僕は子どものころ強い結婚願望があった。ガラス張りのチャペルで結婚式を挙げた夢を見たこともあった。相手も男性で、二人で白いタキシードを着ての挙式だった。相手の顔は覚えていないけど、僕は根っからのゲイだったんだな、と思う。入場曲も退場曲も決めていた。ところがいつごろからか、結婚式にさほど憧れを持たなくなっていた。自分(達)が主役になってみんなにチヤホヤされたいという願望はある。でもそれって、盛大なお誕生会と同じなのかもしれない。僕はそこまでしてチヤホヤされたいのだろうか、と思うようになったのが1つ。(すみません。ここで「結婚式に憧れを抱いている」という人に水をぶっかけるつもりはありません。あくまでも僕の場合です。でも水をぶっかけるとしたらもっと後です。本当にぶっかけるようなことを言うかどうかは分からんけど)。

もう一つは、当時付き合った男性が「結婚式を挙げたいとは思わない」と言っている人だったから。彼がどうして結婚式を望まなかったのかは詳しくは聞かなかったけど、もしかしたら「異性婚なら社会通念的に認められているから挙式に抵抗はないけど、同性婚はある意味社会に抗うことになる。エネルギーを注いでそこまでしようとは思わない。二人で支え合って生きていくということに、周りへの告知や周りからの祝福はいらない。もちろん尋ねられれば同性のパートナーがいることは言うつもりだけど、わざわざそれをアピールしようとは思わない」といった感じだったのではないかと思う。(元パートナーのSさんがもしこの連載を読んでいたら「違うよ」と言われるかもしれない。だったらゴメンナサイ。でも僕に好きな人が出来てしまい、Sさんに別れを切り出した時、Sさんが「パートナーシップというのは、片方が手を離した時点で解消なんだよ」と言ったのをよく覚えています。その言葉から「周りの承認や祝福ではなく、二人の関係性のみがパートナーシップを成り立たせるものだとSさんは思っていたから、契約にしばられる「結婚」に消極的だったのではないかな、と思います。ちなみに彼とは別れて20年以上が経ちますが、今でも大切ないい友人です。別れてからも友達でいられるゲイの元カップルの話をよく聞きます。男女ではあまり聞かないのはどうしてかな? ひとつには「結婚」してしまったために、別れたくても別れにくくなっているのかも。どうしても一緒にいるのが耐えられなくなるまで我慢しちゃうから、「もう顔も見たくない別れ」になっちゃうのかな。そんなことを考えます。僕の持論ですが、結婚は絶対ではない。我慢してまで続けるものではない。離婚って不幸なことだと思いこんでいる人が多いのですが、実は、結婚で不幸になった人が幸せを求めて離婚するのです。僕はキリスト教の牧師ですが、不用意に結婚は勧めません。時には離婚を勧めています。どうせ別れるなら、お互いがボロボロになる前に仲良く離婚してほしいなあ。あ、「子どもがかわいそう」ですか? 僕は両親が不仲で結婚を続けるよりも、傷の少ない離婚を選んだほうが子どもも幸せだと思うのですが・・・。それにしても随分話が脱線してしまいました。()の中の文章が長過ぎ!自由なコラムなので許されるでしょう。こんなアンバランスな 文章でごめんなさい、彩流社さん。でもこれも僕の言いたかった(書きたかった)大切なことです。こんなことに気付けたのも、僕がゲイで良かったことだろうなあ」。

Sさんとの別れの話からすごく広がってしまいました。ここまで脱線したついでに、Sさんとの出会いにも触れておきます。

僕が関わっている同性愛者の人権団体「動くゲイとレズビアンの会(通称:アカー)(現在の正式名称はNPO法人アカー)」が東京都を相手取って裁判をし(注1)、その勝訴のアピールを兼ねて、1994年6月、ニューヨークのLGBTプライドパレードに30名ほどで参加しました。ちょうどストーンウォール事件(注2)の25周年ということで、世界中から120万人が参加した大イベントでした。そのパレードには、アメリカ在住の日本人も多く参加し、その中に当時アメリカ勤務だったSさんがいたのです。パレード後、お互いに連絡先を交換し、「休暇などで日本に戻って来たら会おうね」と約束。その数か月後、日本で再会して食事などをする中、彼がアメリカに帰ってしまうのが寂しくて寂しくて・・・。成田空港に見送りに行ったとき、僕が言ったのです。「勤務が終わって日本に帰って来たら付き合ってほしい・・・」キャー、僕って積極的! 彼の答えはOKでした。そして1年後、僕たちはお付き合いを始めたのです。(既にお気づきかた思いますが、付き合ってほしいと言ったのが僕からだったくせに、「別れたい」と言ったのも僕からです。なんだか情けない。改めてSさん、ごめんなさい。こんな文章で今回閉じていいのだろうか・・・続く)。

 

注1)1990年、東京府中青年の家において「動くゲイとレズビアンの会(現在名NPO法人アカー)」の合宿中に、アカーのメンバーがキリスト教会の利用者たちほかいくつかの利用団体の利用者たちによっていやがらせを受ける差別事件が起こった。その後「青年の家」は、同性愛者であることを理由にアカーのメンバーの宿泊利用を拒否した。これに対して、アカーは東京都を相手取って裁判を起こし、一審、控訴審ともにアカーが勝訴した(94, 97)。これは日本で同性愛者が市民権を得たはじめての裁判といえる。

注2)1969年6月28日、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」が警察から嫌がらせの踏み込み操作を受けた際、そこにいたLGBT当事者らが初めて警察に抵抗した事件。「世界初のLGBTの抵抗運動」とも言われ、権利獲得運動のきっかけとなる。

 

[ライタープロフィール]

平良愛香(たいらあいか)

1968年沖縄生まれ。男性同性愛者であることをカミングアウトして牧師となる。
現在日本キリスト教団川和教会牧師。