あてにならないおはなし 第30回

わたしの体験的居場所論 その5

 阿部寛

地域人権学習会「ぼちぼち」の誕生

 今回は、地域人権学習会「ぼちぼち」の歴史を紐解いてみよう。
 「ぼちぼち」は、1995年5月に神奈川県厚木市の被差別部落で誕生した。最初のメンバーは、地域の子どもたち3人とわたしの4人で、学校の教科学習が主のこじんまりとした勉強会だった。
 神奈川の被差別部落は、保存されている古文書や国・自治体の実態調査から推測すると、30余箇所が確認できるが、戦後の同和対策事業が実施された地域はわずか13カ所である。そのため、「同和地区」の高齢者や部落解放運動団体に所属する者を除いては、自分が生まれ育った地域が被差別部落であることを知らない場合が多い。
 ぼちぼちの出発当初のメンバーも、自分の故郷の歴史や差別の実態、さらには反差別の闘いを知らされずに生活を続けてきた。そのため、就職差別や結婚差別等の悪質な差別事件に出会ったときにはじめて、差別の現実を思い知ることとなるが、現在の部落差別は、「遠巻きにする関係(当事者と直接にかかわらないという形態の社会的排除)」をとるため、まるで差別が解消されたかの錯覚に陥る。
 それゆえ、勉強会の内容も、勉強の遅れをまず補充することからスタートしたが、それだけでは済まない。なぜ勉強が遅れたのか、なぜ家の中に新聞をはじめ書物がほとんどないのか、なぜ生活が困窮しているのか、なぜ電話がないのか等々、その原因を追究することもあわせて探らなければならなかった。
 日常生活の場にある路傍の石碑・馬頭観音は何を意味しているのか。各自の家にはなぜこれほどまでに植木や花がたくさん植えてあるのか。地域で大切に保存されている白山神社は何をまつり、どんな行事が執り行われてきたのか等々、何度も何度も散歩を重ね、目で見てふるさとの歴史を確かめることから取り組む必要があった。
 こどもたちの勉強の遅れは、自らの怠慢では決してなく、明らかに部落差別と経済的貧困、自らの出自を明らかにすることさえ許さない社会の人権状況が、学習権を侵害し続けてきていることを身をもって学習する必要があった。さらには、部落差別を理解するには、身近で生活する被差別部落以外のマイノリティの人々と対話・交流し、互いの生活実態や差別の現実、及び反差別の闘いを確認することが重要である。
 厚木市内にある県立厚木南高等学校通信制では、高齢者、障害者、外国にルーツを持つ者等の生徒たちが入学し、学習している。それゆえ、生徒の生活実態に沿って、生徒を主体とした学習が行われてきた。さらには「人権」の科目が正式科目として設置されていた。1996年4月に部落出身の若者たちが入学し、学び始めると、人権教育に熱心に取り組んでいる先生たちが立ち上げたクラブ「ハブールの会(生活を見直す会)」と「ぼちぼち」との相互交流がスタートした。
 そして、この交流が、「ぼちぼち」の活動内容を徐々に変容させていった。通信制に通う不登校経験者、台湾出身者などの生徒たちや教師たちが「ぼちぼち」のメンバーとなり、活動内容が飛躍的に豊かになった。
 さらには、1999年1月、厚木市内に精神障がいを抱える女性たちのための地域コミュニティ・スペースであり、就労支援の場でもあるコミュニティスペース・アジールが開所し、
そのメンバーも「ぼちぼち」に通うようになった。
 
 ここで、アジールの設立にまつわるきわめて重要なエピソードを語っておこう。
 コミュニティスぺース・アジールの運営組織「アジールの会」は、設立当初2年間は、公的助成金なしの手弁当で運営してきた。その主たる理由は、通所者が女性限定であったため、「逆差別だ」との行政側の一方的判断からであった。しかし、通所者の内の何人かが男性からの性暴力の被疑者であり、さらに男性の存在自体に不安を感じる者もいたため
「女性限定によるミーティング中心の活動」
を譲るわけにはいかなかった。
 では、アジールの自前の設立・活動資金は、
どうやって集まったのか。設立発起人3人は、
精神障害者の親の立場にある3人とその友人
・知人、精神医療関係者、精神障害当事者、障害者の作業所関係者等、実にたくさんの方々からの寄付、債券、顧客、人的支援などによって賄われた。

 さて、「ぼちぼち」は、設立当初から一度も公募していない。学習仲間自身が、日々の生活に困っている学校や職場の同僚や友人・知人に声をかけ、相談に乗り、「ぼちぼちに来ないかい」と誘った。メンバーたちが、まさにオルガナイザーである。それと人伝にぼちぼちの活動が知られるようになっていった。
 学びの必要性と意欲満々の人々が「ぼちぼち」にぞくぞくと加入し、会員数は100人を超えた。そのうち、常時参加者は10数人だ。(2021年5月現在)
 

「ぼちぼち」の歩みと主な活動内容 

 「ぼちぼち」の主たる活動は、定例の学習会である。発足当初は、厚木市内の被差別部落の中の個人宅や社会福祉施設で毎週1回実施していたが、のちに市の公共施設で月2~3回開催することとなった。希望すれば、だれでも参加可能で全公開の学習会だ。学習者は、最年少は5歳、最高年齢は80歳代まで、被差別部落出身者、不登校経験者、外国にルーツを持つ者、精神障害者、発達障害者、身体障害者、知的障害者、ヴェトナム難民、ブラジル移民経験者、教員、新聞記者、牧師、行政職員、非正規雇用者、市議会議員等々多様で、それぞれ固有の人生を歩んできた。
 学歴は、学校に一度も通った経験のない人、母国でも日本でも十分な学習の機会が保障されなかった人、貧困やいじめ等の暴力の被害を受けて学習を断念したり進学をあきらめざるをなかった人、戦争の被害により心身の障害を抱え学習の機会を失った人、あるいは大学まで進学し、卒業したものの「競争と選別、他者への差別意識」を身につけたことを悔いる人など、学習の理由と動機はいろいろだが、「よりよく生きるための学びほぐしをしたい」という意思と情熱は、共通している。
 学習プログラムは、紆余曲折を経て、ミーティング・識字・人権学習の3つに定着した。学習時間は、3時間とかなり長時間だが、あっという間に終わってしまう。楽しく、濃密な内容だと、時間感覚はとても短く感じるようだ。
会費は月500円。公的な財政援助は一切なしで、年間の学習計画や毎回の活動内容もすべて学習者が決め、教師と生徒の区別もなく、ボランティアもいない。ただし、寄付はありがたくいただくこととして、2007年から湘北教育文化研究所から、年間5万円の活動助成金が出るようになった。まことにありがたいことである。

 次号では、「ぼちぼち」での印象的な活動内容やエピソードについてお話ししてみようと思う。

 

【注】連載第28号・第29号の記載について、
読者の方から被差別部落の所在及び当事者が特定される可能性があり、善処願いたいとのご意見をいただきました。筆者、編集者、彩流社、読者の方との協議の結果、第28号及び第29号を非公開とすることと致しました。

 

[ライタープロフィール]

阿部寛(あべ・ひろし)

1955年、山形県新庄市生まれ。生存戦略研究所むすひ代表。社会福祉士。保護司。 20代後半から、横浜の寄せ場「寿町」を皮切りに、厚木市内の被差別部落、女性精神障害者を中心とするコミュニティスペースで人権福祉活動に取り組む。現在は、京都を拠点として犯罪経験者・受刑経験者、犯罪学研究者、更生保護実務者等とともに、ひとにやさしい犯罪学、共生のまちづくりを構想し共同研究している。