日本赤軍とは何だったのか

日本赤軍とは何だったのか

その草創期をめぐって
和光 晴生/著
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発売日 : 2010/5/21

書名カナ ニホンセキグントハナンダッタノカ
判型/製本 四六/並製
ページ数 271
ISBN 978-4-7791-1478-6
Cコード 0036
本書は、「一兵卒」として著者がどのような生き方をして来たのかを語ることで、1970年代にアラブの地に登場し、2000年に日本で「解散宣言」を発することになった「日本赤軍」とは何だったのかを解き明かそうとするものである。和光 晴生978-4-7791-1478-6その草創期をめぐって
日本赤軍とは何だったのか
  1 日本赤軍の「解散宣言」をめぐって              
「京都パルチザン」が「リッダ闘争」を担った主体である 
重信房子さんの出産をめぐって 
アラブに結集した人たちの実態 
若松プロ「赤軍―PFLP・世界戦争宣言」と私の出国 
共産同赤軍派・連合赤軍・日本赤軍は、全共闘運動主体の寄せ場だった、ほか 
  2 日本赤軍の草創期について                  
シンガポール・クウェート連続闘争 
アデンでの訓練 
ヨーロッパでの調査・工作へ 
在ハーグ・フランス大使館占拠闘争 
日本赤軍の創立、ほか 
  3 思想闘争の持ち込みとは何だったのか             
重信さん、「北の国」へ 
「クアラルンプール作戦」へ 
一九七七年「五・三〇声明」をめぐる欺瞞
ヨルダンでの敗北 
ダッカ・ハイジャック作戦へ、ほか
  4 日本赤軍を脱退した理由                    
私が日本赤軍を脱退した経緯 
査 問 
「脱退」成立 
日本赤軍の解散をめぐって 
何から始めるか、ほか 
  5 『日本赤軍私史―パレスチナと共に』について          
パレスチナ難民キャンプの住民たちは日本赤軍をどのように見ていたのか 
日本赤軍はPLOとどのような関係にあったのか 
裁判闘争にもパラダイム・チェンジを 
八〇年代の日本赤軍とPFLPとの関係の実情、ほか
  6 人はなぜ闘争に立つのか             
  『1968』(小熊英二著)を糾す 
「七〇年代のパラダイム転換」とは何だったのか 
「同感力」・「共感力」 
  資料・上告棄却決定に対する和光晴生異議申立書(平成二一年一〇月三〇日)
和光 晴生
わこう はるお
1948年、宮城県生まれ。
1968年、慶応大学入学直後から全共闘運動に身を投じ、2年で除籍。アルバイト生活を経て、若松孝二監督の若松プロで演出助手となる。
1973年9月、アラブに渡り、PFLPの海外作戦部門に所属。のち、日本赤軍発足に参加。78年末、日本赤軍に脱退届を提出(正式脱退は3年後)。
レバノン南部前線でコマンドとなる。1997年2月、レバノン・ベイルートで日本赤軍メンバー4名とともに3年間服役。
2000年、日本に強制送還。フランス大使館占拠(1974年、ハーグ)、アメリカ大使館領事部・スウェーデン大使館占拠(1975年・マレーシア)両事件における逮捕監禁、殺人未遂で起訴。
2009年11月、最高裁で無期懲役が確定。
著書に『赤い春―私はパレスチナ・コマンドだった』(集英社インターナショナル)がある。