日々是好日 第6回

  

第6回 一本足ケンケン散策編

林タムタム

 

上野の国立西洋美術館に行く。パンダを見に来たひとと一緒になって信号を公園側にわたる。この人出なので美術館はもう混み始めているはずだ。ベラスケスのマルガリータが転写された看板を横目に見ながら一心不乱に館内に進む。今日は花總まり様の解説音源を聴きますの。うふ。

美術館でキュレーターを務めている友人がいる。「美術展」だけではなく「美術館」に魅力を感じてもらえるよう、そして美術館に繰り返し足を運んでもらえるよう、美術館の側で色々工夫をしていると彼女は言う。ただ効果を上げるのはなかなか難しいとも。

友人の話には、美術館それ自体も目的やコンテンツとして楽しんでもらえるようにという考えがもとにあると思う。取組みとして土日にイベントを打つこともあるらしい。

タムも繰り返し行きたい/行った美術館はあるにはある。一つは豊島美術館、もう一つは京都国立近代美術館だ。前者は単純に美術館そのものに、そして豊島の風景に惚れ込んで、海を渡って2度行った。豊島美術館はすこぶる良い。機会があればあと何回でも行きたい。できれば人の少ない時に、そして季節の良い時に、半日ぐらいずっと居たい。横たわって水滴をずっと眺めていたい。人が多いとまぎれてしまうあのシャララ音をずっと聞いていたい。島を自転車で走り回って瀬戸内海の島々が静かに海に並んでいるのを見る。とにかく信じられないくらい海と島がきれいだ。

豊島美術館の引力はめちゃくちゃ強い。ただあれを“美術展”と対比される“美術館”と呼んでいいのか、行かれた方はわかると思うがそういう疑問もあるし、豊島美術館の魅力は豊島そのものと分かち難く結びついてもいる。あの美術館が地下鉄でいける場所にあったなら、私はここまで惚れ込んでもいないだろう。

後者は京都にいた時に一番身近な美術館だった。距離的にも近かったし、時々無料の写真展示もやっていて、お金のない学生だった私には一番敷居が低かった。ユージーン・スミスの写真が無料で見られる時期があって、何度も行った記憶がある。とはいえあの美術館に関しては、あえて行くというよりも、授業があるのかないのか今が何曜日なのかもよくわからない太く一定の調子で続く日中の学生生活の、自転車で出町柳のツタヤに行くか、川を渡ってミスタードーナツに行くか、それともそのまま南下して岡崎で無料の写真展を見るか、をその日の気分で選ぶような、生活の一部としての宛先であったように思う。「美術館」の魅力、というものを当時特段認識することはなかったが、展示も豪華なら入館料も高いお向かいの京都市美術館(今調べてみたら京都市京セラ美術館になってました! びっくり)に比べて、国立近代〜は学生のタムを優しく受け入れてくれるという認識はあった。

京都には一乗寺に恵文社があり神宮丸太町にメトロがある。いずれも「箱」が目的として機能していると思うがそれはあそこに行けば何か面白いことがあるという信頼みたいなものが皆の心にあるからだ。美術館も同じで中の美術展がきっと面白いはずという信頼なくして「箱」が愛されるという状況はなかなか難しいのではないかと思う。ただ、無理に惚れ込まれようとしなくても、生活の一部になるという親しまれ方の方向もあるだろう。そしてそれは美術館の側だけが努力するものではないだろう。花總様に釣られていったハプスブルク展が、そのきっかけになることもありうるだろう(自分をアゲて筆を擱く)。