日々是好日 第4回

  

第4回 閑話休題東北編

林タムタム

 

大曲にいた。

広い河川敷に広く広く用意された桟敷の人区画に座って日本酒を飲んでいた。8月の末でも秋田の夜はどこかさわやかだ。さっき通り抜けてきた横手やきそばや焼き鳥の屋台の賑わいの先に、この河川敷があり、桟敷には驚くほど多くの人が集まっているはずなのに、一人一人の可処分的スペースが広いのか、座った皆の鼻先まで降りてきている高い高い夜の空が広いせいなのか、あたりは静かでおとなしかった。日本酒を3分の1ほど入れた紙コップが、水気を含んで心なし冷たくなり、紙の表面の細かな凹凸がこれまでにないほどはっきりと指から読み取れる。周囲の人たちが各々話し笑い合っているのが見て取れるのに、音は夜空に吸い込まれて個別の語の区別のない、控えめなさざめきとしてしか耳には届かない。日中の色付けが想起されない、夜の河川敷で、各人は身を寄せ合うわけでもなく、何かに打ち込むわけでもなく、ただこれから起こることを期待して集まり広がっていた。

だいーはちーごーうーしんしゅうーえんかこうーぎょうー

朗々とした声が響き渡る。それと同時にしゅるるる……と音を立てて小さな炎が暗闇を駆け昇っていく。炎は私が想像しているよりももう2段階は高いところまで一気に昇り詰める。

花火が開く。大きく丸く花が咲き、ドンという音が体の真ん中に響く。花火はその一片一片を赤オレンジピンクに色を変えながら、一斉にすうっと闇に消えていく。夜にほの白い煙のたなびきがぼんやりと残される。

タムは花火が好きだ。一瞬で開いて一瞬で消えてしまう。あんなに大きくて音もして目にも耳にもパッと焼き付きながら、決して形には残らない。

結構前から、手持ちのPCとスマホが連動するようになり、私に関わるデータはよくわからないがどこぞの電磁的空間?(本当によくわかっていないので間違っていたらすみません)に預けられてどれだけ過去のものでも無限に取り出して見ることができるようになった。ネットで何か物を買っても、驚くほど前の履歴をずっと辿ることができる。

記録が無限に蓄積されていく、多分個人一人一人だけの話ではなく、人間全体がみんなそんな感じなんだろう。

他方で、人間の当事者としての経験みたいなものは、いまだにデータとして記録しておくことができない。最たるものがこの花火を見たとかだ。あとはややこしい感情や七転八倒の云々。経験から得た気づきみたいなやつも正確には後世や周りに引き継ぐことはできない。

そういうことを思って-結局それは人生が一回使い切りタイプであることへの恐れとつながってくるのだけれど-タムはいろんなことを自分自身に経験させることを心がけるようになった。いや逆に引き継げないからコスパ悪いのかな?そう思うとインスタグラムのストーリー機能とか、なんとかコスパの悪い「経験」を他者に引き継がせようとする大変いじらしい試みであるような気さえする。とはいえ、経験には先立つ物が必要だ。ウィ・ニード・サム・マネーである(消費税10%になるのが大騒ぎにもならずただじんわりと迫ってきていることが恐ろしい、10%ってめちゃくちゃ高い、前8%になったとき駆け込み需要とか言われてたけど、もう駆け込んで使うためのお金もないよ)。同じインスタグラムにいる、美しくて、健やかで、ストーリー機能を使いこなすしょっちゅう海外に行っている女の子たちは金策どうやってるんだろう……。

上記経験の引き継ぎの試みがストーリー機能のみならず文章のそれなら、苦しいのは当然で私が今こうやって七転八倒しているのも了解せられるというものである。今回は、芥川龍之介「蜜柑」フューチャリングでお届けしました。みなさまの心に大曲の光景が曲がりなりにも(ギャグ)浮かんだでしょうか。感想はこちらまで☞

追記:次回こそ時間に余裕を持って書きたい。次回に乞うご期待!