オーラルヒストリー・三輪祐児 父と原発の記憶 最終回

  

最終回 「自分手政治」の故郷

木村英昭

電通に勤めていた三輪祐児の父、正巳(まさみ)は反原発運動つぶしに関与していたのか──。私たちは正巳が生まれ、育った地に立った(*1)。

 

日野川に沿って広がる黒坂の集落=2019年12月20日、鳥取県日野町黒坂

 

そこは鳥取県の南西部の山あいの里、日野郡日野町の黒坂地区。鳥取県を代表する一級河川、日野川が大きくうねる。鳥取県の商業都市・米子市と岡山市を南北に結ぶ伯備線が日野川に併走する。1時間に数本、電車がガタゴトンと走る。429世帯975人が暮らしている(*2)。

まずは、黒坂の歴史をざっと遡ってみよう。

黒坂の隣にある根雨(ねう)地区が、江戸期の参勤交代の宿場町として賑わい、良質なタタラ製鉄の一大拠点として栄えた「商業の町」なら、ここ黒坂は鏡山城(かがみやまじょう)を中心にした城下町だった。

黒坂で近世の扉が開かれたのは1632年(寛永9年)。この年に池田光仲(1630-1693)が岡山藩から国替えになり、鳥取城へ移った。鳥取藩の中西部にある拠点の町は「自分手(じぶんて)政治」で統治された。藩主が統治するのではなく、藩の家老の家筋に当たる重臣(着座家)が統治を任された。この「自分手政治」は米子(西部)と倉吉(中部)の拠点地域のほか、それに準じる町でも実施され、その一つが黒坂だった(*3)。全国でも例のない統治方法だった。廃藩置県までの約240年間続いた。

藩政から完全に独立したものではなかったが、それでも藩主の重石(おもし)がないものだから、人の往来を促し、自由な気風を育んだのかもしれない(*4)。

黒坂は福田氏が治めた。福田氏は藩主の家臣ではあったが、着座家ではなかった。なのに「自分手政治」の任に就いた(*5)。福田氏は黒坂陣屋に家老や城奉行を置いた(*6)。

三輪祐児の父、正巳の3世代前のご先祖様、甚兵衛は1817(文化14)年 に生まれた。江戸の中期、9代将軍徳川家重が亡くなる前年だ。田沼意次が老中として幕政に影響力を持った時代、と言ったほうがイメージしやすいかもしれない。

そして、その江戸からはるか遠く離れた黒坂の地に、甚兵衛は根を下ろした。理由はよくわからないが、近くの野田地区(旧日野村)から移り住んだそうだ。甚兵衛は後に、黒坂での功績を称えられて「三輪」の姓を与えられる。鳥取県公文書館には「三輪家文書」の資料が残るほどの名士となった。

はたして正巳はどのようにして「天皇と科学技術の信奉者」になったのか。それを知るためには、甚兵衛のことから書き始めなくてはならない。

三輪甚兵衛。三輪家隆興の祖にして、功徳の人。黒坂の地で、その名を知らぬものはいなかった。

 

江戸期の黒坂の様子 (出典)黒坂鏡山城下を知ろう会『黒坂 歴史めぐり』

 

(敬称略)

 

〈脚注〉
*1 2019年12月20日・21日。
*2 2019年10月末現在。日野町住民課への電話取材、2019年11月12日。
*3 中林保「近世鳥取藩の陣屋町」『人文地理』26巻4号、1974年、86頁。
*4 JR西日本の情報誌『グッとくる山陰2017秋号』には、黒坂同様に「自分手政治」が行われた米子が「町人が自由に商売できる独特の経済都市として発展」と記載しているが、『米子市史』には米子城を預かった荒尾氏の専制ぶりを記述する箇所もある。「自分手政治」が人びとの暮らしや経済・産業にどのような影響を与えたのか、なお研究の成果を待たねばならない。ただ、少なくとも米子が江戸期に山陰を代表する商業の町として発展したことは確かだ。
*5 日野町誌編纂委員会『日野町誌』1970年、106頁。『黒坂 歴史めぐり』には福田家4代目久武の墓碑の碑文の要約が紹介されている。それには、「代々山城国葛野郡越畑に居城し、周いの村を支配していた左衛門慰景通の時に福田姓を名乗る」とある。もともとは京都の出身ということになる。
*6 日野町誌編纂委員会『日野町誌』1970年、107頁。

 

〈参考文献一覧〉
青木通男「宝暦・天明文化」『日本歴史大事典3』小学館、2001年。
黒坂鏡山城下を知ろう会『黒坂 歴史めぐり』2011年。
JR西日本『グッとくる山陰2017秋号』2017年、2020年1月9日取得(JR西日本ウェブページ)。
杉本良巳編『米子・境港・西伯・日野ふるさと大百科 : 決定版』郷土出版社、2008年。
鳥取県『鳥取県史 第3巻 近世 政治』
中林保「近世鳥取藩の陣屋町」『人文地理』26巻4号、1974年、86-102頁。
中林保「近世鳥取藩の城下町」『歴史地理学紀要』19号、1977年、67-107頁。
中林保「近世鳥取藩の宿駅」『歴史地理学紀要』21号、1977年、145-174頁。
日野町誌編纂委員会『日野町誌』1970年。
米子市史編さん協議会『新修 米子市史』2004年。
米子市役所『米子市史』1973年。

 

 

[ライタープロフィール]
聞き手・木村英昭 (きむら・ひであき) ジャーナリスト。ジャーナリズムNGOワセダクロニクル編集幹事。朝日新聞社を2017年8月に退社、早大を拠点にしたジャーナリズムプロジェクトの立ち上げに参加(2018年に早大から独立)、現在に至る。


語り手・三輪祐児 (みわ・ゆうじ) 1953年生まれ。市民放送局UPLAN代表。東日本大震災を契機にジャーナリズム活動を開始。3500本以上の動画をYouTubeにアップし続ける。