僕がゲイで良かったこと 第12回

  

第12回 ちょっとクリスマスの話2

平良愛香

 

 前回「クリスマスクイズ」を4つ出しました。そのうち3つは解説が済んでいるのですが、今回は4つ目「マリアは処女のまま身ごもった、とは聖書には書いてない」ということについて書きたいと思います(キリスト教の暦ではクリスマスは1月6日までなので、ちょっとぐらい時期が過ぎても許してもらえるでしょう)。

 イエスの母マリアは、教会によっては「(人間の罪が遺伝していない)永遠の処女である」ということが強調されます。また、聖書に登場するイエスの弟たちを、「これはマリアが産んだ子ではなく、当時は従兄弟も『兄弟』と表記していた」と説明する教会もあります。そうかもしれないし、違うかもしれない。でもここで触れたいのは、「マリアが処女のまま懐妊し、処女のままイエスを生んだという話は聖書には出てこない」という事実です。聖書に書いてあるのは、「天使ガブリエルからマリアが男児を産むと宣言されたとき、マリアには性体験がなかった(とマリアが言っている)」「マリアの胎内の子は夫(婚約者)ヨセフの子ではなかった」「マリアのお腹の中の子は『聖霊によるものである』と天使がヨセフに告げた」という3点が聖書に載っているだけです(ついでに言うと、「おとめが男の子を産む」という予言が成就したとも書かれてあり、おとめに「処女」という意味を重ねることも多いのですが、原語では「若い女性」という意味しかない、ということも指摘されています)。ところがやがて時代が下っていくと、「マリアは処女のまま懐胎したのだ」という解釈になっていったのです(2世紀後半に書かれた「原ヤコブ書」に「マリアは処女のまま懐胎したのだ」と表記されたのが最初だと言われています)。でも改めて聖書を読むと、天使がマリアに告げたのは「妊娠してるよ」ではなく「男児を産むよ」だったし、「聖霊によって身ごもる」というのも、神の祝福が特別にある懐妊を表す言葉として用いられていたことも分かっています。

 そんなことを言うと、「じゃあマリアは夫(婚約者)ヨセフ以外の男性との間に子どもを作ってしまったのか?!」というひんしゅくを買うかもしれません。そこは全く分からないのです。もしかしたら原ヤコブ書の解釈のように、非科学的な出来事が奇跡として起こったのかもしれない。ただ、いつも思うのは、「性的な経験をしていないから清い」という考えは、「性的な経験をすると汚れる(けがれる)」ということと表裏一体になる危険性をものすごく伴うという事実です。性的な経験は「汚れ」なのでしょうか。汚点なのでしょうか。その人の価値をわずかでも落とすこと、貶めることになるのでしょうか。絶対そうではないはずだし、そうであってはならない。私はそのように考えるのです。にもかかわらず、「処女」であることに価値を置く社会や男性のいまだ多いこと! これは「どの男性にも(性的に)支配されていない女性に価値がある」「そんな女性を自分(男性)が支配したいと思ってしまう」もっと言えば「女性を支配できる自分(男性)に価値がある」という恐ろしいジェンダー観がそこに潜んでいるのではないか、とすら思うのです。考えすぎでしょうか。けれど、マリアさんを「永遠の処女」としてあがめることによって、「処女であることはそれだけで貴い」という価値観が固定化されるとしたら、う〜ん、と唸らざるを得ないのです。

 僕は自分が男性同性愛者だったことのメリットとして、「女性は処女であることに価値がある」という感覚が「全く理解できない」という部分を挙げたいと思います。処女であろうとなかろうと、その人の価値は変わらないと実感しています。また、「女性を支配できる男性に価値がある」という感覚も全くありません。僕がゲイで良かったことの一つかもしれないなあ、と思っています(ゲイがみんなそういう感覚であるかどうかは確かめてはいませんが)。異性愛男性の皆さんはどうなのでしょうか。

 ちなみに、実はとても辛い話ですが、「マリアはローマ兵のパンテラに乱暴されて身ごもったという噂が当時あった」という文献が残っています。これはマリアさんを「永遠の処女である」と信じ崇敬している人たちにとっては聞き捨てならないことかもしれません。それに、いくら文献があったからと言って、ただのでたらめな噂話だったかもしれない。でも、米軍に支配された沖縄に生まれ育った僕から見ると、軍隊(ローマ兵)に支配されていたユダヤの国では十分にあり得る話だと感じるのです。軍隊に支配された国では、住民が軍隊によって苦しめられる。それを沖縄の人たちは経験してきたし、ユダヤの人たちも経験してきたのだろうな、と思います。そんな不条理な社会の中で、「神は見捨てない」と信じたマリアの信仰と「それでも平和は到来するよ」という希望が語られたのがクリスマスなのです。

 いや〜、まるで牧師のように語ってしまいました。次回は「僕が(多分)同性婚をしない理由」にもどりたいと思います。

 

 

[ライタープロフィール]

平良愛香(たいらあいか)

1968年沖縄生まれ。男性同性愛者であることをカミングアウトして牧師となる。
現在日本キリスト教団川和教会牧師。

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