僕がゲイで良かったこと 第5回

  

第5回 僕がゲイであること①

 

平良 愛香

 

 前回、性自認について書いてみた。「私はどうして自分を男だと思っているのだろう」「私はどうして自分を女だと思っているのだろう」。考えてみたかたはおられるでしょうか?
 僕の場合、答えはこれです。「分からない。ただ何故か、自分は男だと実感する!」
 すみません。全然答えになってなかったですね。でもそうなんです。性自認って、自分で選んだんじゃなくて、なぜかそなわっているものです。
 ただし、ここで注意! 不思議とそなわっているからと言って、女か男かの2種類のどっちか、という意味ではありません。どちらでもない、と言う人もいます。どちらでもある、と言う人もいます。男と女の間である、という性自認の人もいますし、揺らいでいると言う人もいます。(揺らいでいるというと、いつかどちらかに落ち着くように思われるかもしれませんが、「揺らぎ続けるのが私の性自認です」という人もいます。日によって違う、という人の中には、「ジェンダーフルイド(genderfluid=流動的な性)」という語を使う人もいます。)

 あるトランス女性(男性だと認定された体を持って生まれたけど女性として生きることを選んだ人。Male(男性) to Female(女性) transgenderと呼ばれることが多かったが、最近は「かつて男性であったことをわざわざ強調したくない」としてtrans womanと名乗る人が増えている)の友人は、「本当は私は女になりたかったわけじゃないのよ。男性であることが苦痛でしょうがなかっただけ。でも男性を辞めるためには、当時は女性になるしか方法がなかった。だから女性になることを選んだのよ」と言っていました。
 ジョン(仮名)というニックネームで慕われていたある友人は、女性から男性になって生きようと思っていたのに、病気で内性器の摘出の決断を迫られた際に、自分の内性器がものすごく愛おしくなり、「自分は男になろうと思っていたのになぜ?」と悩み抜いた結果、「私のセクシュアリティはジョンです」と名乗り始めました。かっこいいなあ。
 現在日本では、性自認が「女性」か「男性」かのどちらかではない、という当事者たちはXジェンダーという名称を使い始めています(英語ではnon-binaryという言葉がある)。自分の性(セクシュアリティ)は男か女かのどちらかではなく、自分が納得のいくものを自分で引き受ければいい、本当にそう思うのです。(引き受けたら自己責任でそれを一生背負っていくものでもありません。その都度確かめて、「あ、違ったな」とか「違ってきたな」と思ったら、また変えればいいのですから。)

 でも性自認についてそこまで考えていくと、やはり疑問に行きつくのです。「性自認に無限のバリエーションがあるのに、どうして僕は『男性』にしか性的指向が向かないのか。そもそも僕が『好き』と感じている『男性』の定義って何?」
 性の多様性と言いながら、性的指向が「男(だけ)に向いている」なんて言うと、「私って、男女二分主義に縛られているのだろうか」と悩んでしまう。きっと女性にも男性にも性的指向が向くバイセクシュアルの人(相手の性別は重要な要素)や、好きになる相手の性別が重要な要素とならないパンセクシュアルの人(相手が男か女かではなく、この人だから好き)から見ると、どちらかの性別にしか性的指向が向かないなんて、「なんで?」と不思議に感じるだろうなあ、と思います。だって僕自身、「なんでだろう?」と不思議でしょうがないのですから。まだまだ続きます。

(つづく)

 

 

[ライタープロフィール]

平良愛香(たいらあいか)

1968年沖縄生まれ。男性同性愛者であることをカミングアウトして牧師となる。
現在日本キリスト教団川和教会牧師。