あてにならないおはなし 第4回

  

第4回 「自分のことばが欲しい」

阿部寛

 

日本の3大ドヤ街(日雇労働者の簡易宿泊所街)の一つ、横浜・寿町にある寿識字学校に初めて参加したのは、1984年春だった。毎週金曜の午後6時から9時までの3時間、寿生活館2階の部屋で開校されていた。「寿識字学校」という手書きのボードが下がるドアをノックすると、識字学校の主宰者・大沢敏郎さんが床をモップがけし、机とイスをていねいに布巾で拭いていた。簡単なあいさつをし、掃除の手伝いをした。

午後六時を回ると、寿町で暮らす日雇労働者や障害者、寿地区外から出かけて来る大学生や市民などが、ぽつりぽつりと集まってきた。大沢さんは、学習者一人ひとりに声をかけ、温かいお茶を振る舞いながら、用意したたくさんの詩の中からそれぞれの学習者に応じた一篇の詩を選び出し、手づくりの原稿用紙(縦罫線の稿用紙)を差し出していく。学校教育では、詩の意味を読解し、感想を書くのが一般的な学習方法だが、識字学校では詩から呼び覚まされた日々の暮らしや人生の具体的出来事を綴り、自身の生き直しをめざしていく。つまり、「識字」とは文字を獲得することにとどまらず、世界を取り戻していく営みなのだ。

学習者は、ひとしきり近況を話したあと、詩を黙読し、しばらく原稿用紙とにらめっこしている。にぎやかだった教室が、しーんと静まり返り、ピーンと緊張が漂う。ごつごつした手や少し曲がった指で鉛筆を持ち、その人なりのペースで書き始める。ふーっと深呼吸する人、書いては消しゴムで消すを繰り返す人、一気に書き上げる人、一向に筆の進まない人。まさに真剣勝負だ。「きれいだなあ」と、みんなの学ぶ姿に見とれながら、わたしも書き始めた。

そのとき配られた詩は何だっただろうか。思い出せないが、精一杯考え、やっとの思いで原稿用紙一枚に文字を埋め尽くした。

みんなが書き終えた頃を見計らって、自分に配られた詩を読み上げ、詩によって呼び覚まされた思いを綴った文章を読んでいく。その人独特の身体感覚豊かなことば、文字からあふれ出す感情や生活風景、発せられる声と語り口やふるさとのことば。これまでに出会ったことのない新鮮な感覚で、ビンビン心に響いてくる。

いよいよ、わたしの番だ。精一杯読んでいくのだが、文字も声もふわふわ漂い、読んだそばから目の前に落ち、消えていくではないか。頭でっかちな感想文で、いのちの躍動もなく、生活風景も浮かび上がってこない。ひどく悲しく、衝撃だった。

もうひとつ、強烈な出来事に遭遇した。学習者のひとり、溝端さんが私の前に眼光鋭く立ち、作業ズボンをずり下して自分の義足をさらしながら「お前の人生を語ってみろ」と声を張り上げ、迫ってきた。彼は、かつて北海道の炭鉱で働き、事故で片足を失ったのだった。不思議と怖くはなかった。わたしは、野宿者襲撃事件を調査するため寿町に通っていることを告げた。

学習終了後、近所の酒屋に設置された自動販売機前で、缶ビールと日本酒のワンカップを片手に、恒例の「宴会」が始まる。識字の時間とはまるで違った柔和な表情で、今日の識字を振り返り、ふるさとの話で会話が弾む。程よく酔いも回り、帰りの電車が気になるころ、溝端さんがつーっと寄ってきて「また来いよ、待ってるからよ」と声をかけてくれた。「お前の人生を語ってみろ」は、少々荒っぽいが、いかにも彼らしい歓迎と激励の表現だったのだ。緊張したわたしの体は、一気にほどけ、「はい、必ず。ありがとうございます」と答えた。私のこころは、初日にして鷲づかみにされた。

以来、識字学校に通いつづけた。感動と衝撃がそうさせたのも事実だが、それ以上に自分自身のこれまでの生き方、学び方に、何か決定的に欠けているものがあるのではないか。そんな気持ちがつのり、その理由を見つけたいと思った。そして、識字で学ぶ日雇労働者や障害者、「非識字者」とひとくくりにされている人たちの、身体感覚あふれ、臭いたつようなことばに憧れ、そんなことばを身につけたいと願った。しかしそれは容易なことではなかった。

必死で書き続けるのだが、からだとこころとことばが一体のいのちとして息づいておらず、バラバラ状態であることを嫌というほど思い知らされる日々が続いた。

識字学校に通い始めて半年も経ったころ、一人のハンメ(おばあちゃん)が文字を学びたいと訪れた。寿町で簡易宿泊所を営む在日朝鮮人一世の金孟任(キム・メンニミ)さんだ。日本による朝鮮侵略の影響を受け、幼くして日本での生活を余儀なくされたため、朝鮮語も日本語も学習する機会を奪われた。80歳近くまで必死で働きつづけ、ようやく生活にゆとりが出てきたので、念願であった文字の読み書きを勉強したいと思ったという。意を決して区役所に相談に行くと、寿生活館で識字学校があるというではないか。

「先生、こんな近くに学校があるなんて。もっと早く知っていれば良かったよ」と残念がりながらも、金さんは、識字学校に通うことを決め、猛然と勉強を始めた。そして、識字で苦悩するわたしを見かねたのか、大沢さんから金さんの勉強をサポートするように求められた。これは、ほんとうにうれしかった。金さんとの出会いと共同学習は、わたしにとって学びほぐし(unlearn)、生き直しの一大転機となった。

 

(つづく)

 

 

[ライタープロフィール]

阿部寛(あべ・ひろし)

1955年、山形県新庄市生まれ。生存戦略研究所むすひ代表。社会福祉士。保護司。

20代後半から、横浜の寄せ場「寿町」を皮切りに、厚木市内の被差別部落、女性精神障害者を中心とするコミュニティスペースで人権福祉活動に取り組む。現在は、京都を拠点として犯罪経験者・受刑経験者、犯罪学研究者、更生保護実務者等とともに、ひとにやさしい犯罪学、共生のまちづくりを構想し共同研究している。

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