あてにならないおはなし 第2回

  

第2回 揺るぎない信頼は恐ろしい

阿部寛

連載第1回の文章に対してうれしい反響があった。その一つを紹介しよう。
神奈川県厚木市で25年間続けられている地域人権学習会ぼちぼちのみなさんからのメールだ。被差別部落でくらす小学生2人、中学生1人とわたしの4人で始まった学習会は、その後不登校経験者、台湾にルーツを持つ若者、精神障害者、ヴェトナム難民、ブラジル移民、発達障害者も加わり、識字・ミーティング・人権学習を3つの柱とする学習会となった。
現在は、かつて小中学生だった創設メンバーが、30歳代半ばとなり、「ぼちぼち」を牽引している。そして、先日の勉強会で私の第1回目の文章を読み合わせ、「幼稚園のときの私」をテーマに綴り、語り合ったという。識字やミーティングが、生活習慣となっている彼らの学びに心底感動し、励まされた。
さて、今回は少年時代に思いをはせて、いくつかのエピソードを書いてみたい。小学生時代の記憶は鮮明なのに、中学、高校と歳を重ねるにつれ、出来事は思い出すが、経験としての実感が薄れていく。
前回少し触れたが、幼少期は人見知りが強く、小学校3年生頃まで教室ではほとんどしゃべらなかった。心配した母が、クラス担任の佐藤先生に相談し、先生は授業の度ごとに根気よく声掛けし、発言を促した。
その甲斐あって、わたしは徐々に意見を言い、元気になるにつれ、次第に成績も上がり、同級生からも慕われるようになっていった。その一方で、大人の中で育ち「小さな大人」であったわたしは、悪知恵が働き、生意気盛りともなった。
小4の夏休みに算数ドリル1冊が宿題として出された。たまたま家族で山形市のデパートに買い物に出かけた折、偶然その算数ドリルを発見、大喜びで購入した。そして、答えを丸写しし、2学期の登校初日に宿題を提出した。
その数日後の算数の授業中、担任から「寛君、前に来なさい」と呼ばれた。先生の顔は明らかに怒りに満ち、「算数ドリル」のあるページを開いて「『図は省略』って、どげだ意味だ?」と尋ねるのだ。実は、ドリルの中に図形の面積を求める問題があり、わたしは計算式と答えのほかに、ごていねいにも解答解説の「図は省略」という記述まで丸写ししたのだ。わたしは即座に事態を察知し、震え上がった。しかし、担任は同級生の面前で叱り飛ばすことなく、「2度とこんたごどすんなな」と小声で諭すのだった。

もう一つ告白しよう。実家は当時酒屋を商っており、わたしは店番や配達の手伝いをする孝行息子だった。しかし、親が不在で店番を任されたとき、店の売上からお金を盗むようになった。盗み行為はだんだんエスカレートし、100円ずつ盗むことが常習化した。
当時の100円は板垣退助が刷り込まれたお札で、子どもにはかなりの大金だった。盗んだ札を握りしめ、友だち数人を連れ立って隣の町内の駄菓子屋に行き、買い食いするのだ。物品買収による仲間づくりというずる賢い悪ガキだった。
ある日の深夜、トイレに起きたとき、母親がソロバンをはじき、店の売上を記帳している姿を見つけた。母親は勘定が合わないこと、しかもきっちり100円ずつ足りないことに気づいていたはずだ。私は想像をめぐらせた。
「母は売り上げが足りないことを気付いていないのか?いや、そんなはずはない。犯人が誰かを調査中なのか? しかし、母の不在中に留守番しているのはわたしだけだ。では犯人がわたしであることを母はすでに知っており、わたしの方から正直に言いだすことを待っているのか?」と、あれこれと考えてみたが、最終的にわたしが出した結論は「わたしが犯人であるとは全く考えていないのではないか」ということだった。
わたしに寄せる母の揺るぎない信頼は、ほんとうに恐ろしいものだった。なんとひどい裏切り行為を続けてきたものだと深く反省し、ぴたりと盗みは止まった。だが、ついに自分が犯人であることを母に言い出せないままだった。かあちゃん、ごめんなさい。

(つづく)

 

[ライタープロフィール]

阿部寛(あべ・ひろし)

1955年、山形県新庄市生まれ。生存戦略研究所むすひ代表。社会福祉士。保護司。
20代後半から、横浜の寄せ場「寿町」を皮切りに、厚木市内の被差別部落、女性精神障害者を中心とするコミュニティスペースで人権福祉活動に取り組む。現在は、京都を拠点として犯罪経験者・受刑経験者、犯罪学研究者、更生保護実務者等とともに、ひとにやさしい犯罪学、共生のまちづくりを構想し共同研究している。

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