あてにならないおはなし 第12回

  

第12回「学問・研究は実に恐ろしい」

 

阿部寛

 

初めに近況報告を少しばかり。

ライタープロフィールにある通り、わたしは、社会福祉士でもあるのだが、実態は「なんちゃって社会福祉士」だ。

学校嫌い、人に教えること、人から教わることが大嫌いなわたしが、4年前から社会福祉士国家試験の受験対策部長(資格取得支援事業部長)として、受験指導に当たっている。今年もコロナ感染症禍の只中、9月、10月と受験対策秋期講座を対面授業形式で実施している。受講生は、すでに福祉の現場で従事している者、ご家族が障害者や認知症高齢者である者、全く異業職から福祉職に転職しようと考えている者などで、相当の覚悟をもって集っている者たちだ。年齢も30代から70代。

全受験19科目を4日間にわたって集中講義するのだが、時間を重ねるごとに顔つきが締まり、目の輝きに変化が生じる。受講生の本気度に励まされて、講師たちの授業にも力が入っていく。合格は当然のこと、なんとしても当事者によりそい、お互いを主権者とし、かつ畏敬の念をもってかかわる専門職になって欲しいのだ。

わたしが社会福祉士国家試験に合格したのが2015年3月、60歳のときで、わずか5年前である。大阪の専門学校夜間コース(社会福祉専攻科)に1年通って、1発合格した。連載にも書いたが、幼稚園時代から不登園という筋金入りの学校嫌い。小・中・高校と遅刻の常習犯で、大学も興味関心のない授業はほとんどパス。

進学した大学は、学生の街・御茶ノ水から八王子の多摩動物公園裏山への移転を控え、反対闘争がエスカレートしていた。コの字型の校舎に囲まれた中庭は、集会にはもってこいの形状で、ひとたび騒ぎが起こると最高の舞台(劇場)に変化する。大学経営陣に対し校舎移転の合理的根拠を説明するように厳しく追及する学生主催の大衆団交がたびたび開催される。対立するセクト同士のゲバルト、反暴力と民主主義を標榜する学生集団の暴力行為、右翼学生による移転反対闘争つぶし。各クラスでは、教授を説得してクラス討議に変えたり、クラス新聞を編集・発刊したりなど、学生たちもそれぞれ考え、発言し、激論を交わし、校舎移転への態度表明をしていった。

そんな状況に危機感を覚えた大学当局は、機動隊の導入を要請し、ロックアウトを強行した。その結果、1年次、2年次と続けて定期試験が中止となり、レポート試験に変更された。学生たちは、校舎移転賛成・反対の立場を超えて連帯し、レポートの共同制作を実現して、もれなく進級と相成った。かつての学生は、友誼に厚かったわけである。

時を経て、わたしは59歳になって通学した専門学校では、無遅刻・無欠席。卒業時には、「皆勤賞」の栄誉に輝いた。ユニークな講師陣と若い学友たちからの励ましの賜物である。この時の学びと恩義が、いまの受験対策講座に生かされている。いわばわたしなりの「恩返し」なのである。

 

さて、大学院時代の生活に話を戻そう。

大学院生活における痛烈な気づきは、学門・研究を進めるにあたっての己自身の基本的な教養や知識の浅薄さであった。古代ギリシャ哲学以来現在に至る思想・哲学の営為、現実世界や生活世界に対する経験知や観察眼、「真実」を求める探求心、そして体力と精神力。どれも絶望的に非力で、ため息ばかりが出る。

 

ずいぶん場違いなところにさ迷いこんだものだ……。

4年遅れでやっとたどり着いた大学院生活も、スタートを切った途端に否定しがたい現実が迫って来る。敬愛する櫻木先生の言葉を借りれば「哲学がねえんだよなあ」。

もう一方で、自分の現実を棚上げして言わせてもらえば、わたしが目にする日本の研究者たちの論文の多くは、横文字を縦文字にした引用ばかりで、研究者自身のオリジナルの分析や主張がなく、文献紹介の域を出ないものがほとんどだった。簡潔に言えば、読んでいて面白くなく、ワクワクしないのだ。事実と相向き合い、深く考え、悩み、格闘した痕跡が見当たらないのだ。

前号で触れた上原専禄が阿部謹也に発した二つのことばが浮かび上がってくる。

 

「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」

「どんな問題をやるにせよ、それをやらなければ生きていけないというテーマを探すのですね」

 

つまり、学問や研究に対峙する時の自覚的態度、専門家としての社会的責任や使命への誠実さが感じられないのだった。

そんな刑事司法研究の状況の中で、異彩を発揮していたのが櫻木教授の講義であった。

移転闘争さなかの学部生のときも、桜木教授の刑法総論や各論には、不思議な魅力を感じ、受講していた。講義は難解で理解しがたいものではあったが、きわめて本質的で重要なことを語っているということは直観した。

大学院入学と同時に、桜木教授の理論法学の特別講義を受講することにした。講義の正式名は忘れたが、テーマは「法理論におけるヘルメノイティーク(Hermeneutik)=解釈学、つまり法解釈の理論と実践」であった。ふたを開ければ、正規の受講生はわたし一人。それ以外は、俊才な諸先輩。つまり、毎週のレポーターはわたしのみという大変な事態となった。外書購読の基本書は英語の文献で、ハイデガーやガダマー、ポール・リクール、ルーマン、ハーバーマスなどの近現代哲学の巨星たちが次々と登場する内容で、日本語に翻訳することさえできず、全くのお手上げ状態であった。週1回の講義が開かれるには、わたしのレポートが提出されなければならなかったが、それができない。毎週のように、櫻木教授と諸先輩の研究室を訪ね、「今週もまとめることができません。申し訳ありません」と謝って回る。お腹と頭は痛くなるし、視界は曇る。まったくもって情けない醜態をさらすのだ。そのたびに櫻木教授から「おう、そうだろうなあ。これ難しいものなあ」と声をかけられ、それが一層悲しさを増幅させるのであった。

 

(つづく)

 

 

[ライタープロフィール]

阿部寛(あべ・ひろし)

1955年、山形県新庄市生まれ。生存戦略研究所むすひ代表。社会福祉士。保護司。

20代後半から、横浜の寄せ場「寿町」を皮切りに、厚木市内の被差別部落、女性精神障害者を中心とするコミュニティスペースで人権福祉活動に取り組む。現在は、京都を拠点として犯罪経験者・受刑経験者、犯罪学研究者、更生保護実務者等とともに、ひとにやさしい犯罪学、共生のまちづくりを構想し共同研究している。

あてにならないおはなし バックナンバー