あてにならないおはなし 第1回

  

第1回 口上 〜滞ることば、苦い記憶〜

阿部寛

 

ことばは、多様な顔立ちをもつ魔物だ。幼い頃のことばの記憶は、かなりにがい。色あせた写真の中のわたしは、口を半開きにしてぼーっとしていて、なんだか頼りない。人見知りで、他人(ひと)前ではほとんどしゃべらなかった。

「不登校」という現象が研究され始めたのは1950年代末かららしいが、その当時は「学校嫌い」「登校拒否」と表現されていた。それに倣えば、わたしは「不登園」「幼稚園嫌い」ということになる。

幼稚園の担任が、毎朝自宅までお迎えに来て、おんぶされながら泣き泣き登園した。しかし、担任の努力の甲斐なく昼間には「下園?」する始末だ。なぜそれほどまでに嫌うのか。いじめられていたのか。虚弱体質だったのか。いろいろ考えてみるが、わからない。
つい最近、長年の謎に有力な答えを見つけた。

「もしかしたら寝不足だったのではないか?」
「幼稚園がつまらなかったのではないか?」

1955年8月、山形県新庄市という奥羽山脈の懐に抱かれた豪雪地帯で生まれた。父五郎は、日中は会社経営(ガソリンスタンドや製材所など)、夕方からは定時制高校の教員をしていた。母津恵は、阿部酒店の経営。酒類、味噌・醤油、駄菓子などの食品、豆炭・練炭等の燃料を販売していた。茶の間には近所の年寄り、野菜や魚、海藻の行商人(海女のおばさんは宮城県小名浜からやってきた)、酒問屋の若衆、交番の巡査、誰だかよく分からない連中も交じって、ひとがあふれかえっている。わが家にはいつも、中学校を出たての番頭さんやお手伝いさんが数人同居しており、姉・兄・わたしは、よく遊び、面倒を見てもらった。その若者たちも、夕方には早めの晩御飯をかきこんで、父が勤務する定時制高校に通学する。

彼らが9時過ぎに帰って来ると、待ってましたとばかりまとわりついて遊んでもらう11時頃同僚の教師や生徒(中には父より年長の者もいる)を伴って帰宅する。父は毎晩、赤ん坊のわたしと入浴することを楽しみにしていたようだ。寝入っていたわたしは、しっかり目覚め、姉や兄も、大人の世界に引き寄せられて「宴会」に交じる。飲んで、食べて、歌って、踊って、教育論議も白熱して大盛り上がりとなる。
一日中人の出入りの絶えない阿部商店は、遅めの晩御飯をとると、8時過ぎに消灯し店を閉じる。そのあとに決まって数人の顧客が店の戸を叩く。母は店の電灯を消したまま、戸を開け、カーテン越しにひそひそ話をする。

「暗闇の顧客」は、裏路地の貧しい人々だ。酒・醤油などが手渡されるが、代金はない。ある時払いの催促なしだ。
長ーい一日を終えた母は、翌朝早く漬物をかき混ぜ、朝ごはんの準備にかかっている。「いつ寝ているんだろう」と心配したものだ。
そしてわたしは、当時の暮らしぶりに思いをはせて、気づいたのだ。こんな生活をしていたのだから、きっとわたしは寝不足で朝まるで弱い子どもだったのではないか。様々な事情を抱えた大人たちの中で育ったわたしは、極めて早熟な子であり、幼稚園はとてもつまらなかったのではないか。艶歌や卑猥な踊り、酒と博打、大人の噂話や世間の事情が溢れかえる場で育ったわたしにとって、幼稚園のお遊戯やお話は、あまりにも物足りなかったに違いない。事実は定かではないが……。

おっと、前置きもなく、幼少期のエピソードを語ってしまったが、話を戻してこの連載のタイトル「あてにならないおはなし——識字・語り・場所・いのち」の理由について少し話しておこう。メインタイトルは、そのことばの通り、まったくもってあてにならないやつの、ほとんどためにならないお話ということだ。場をわきまえず、長幼の序の感覚もなし。共通の時間意識もほぼなく、「所詮人間は一人」と思っている。私を「仙人」と名付けた若者がいるが、言い得て妙かもしれない。本人は、このあだ名を結構気に入っている。
漂うように気ままに生きてきたように見えるわたしではあるが、これでも結構こだわりが強い。ことばと人には、ちょっとうるさい。その甲斐あって、人と出会いには恵まれている、と思う。

この連載でお伝えしたいことは、ことばと人との出会い、原初のことばが生まれ出る場所にまつわるお話だ。
私を育んだふるさとのことば「新庄弁」。大都会東京で共通語に翻弄されながら格闘した身体とことば。7年間過ごした大学・大学院での生活と社会性を欠いた専門用語に抗って、悲鳴のように吐き出したことば。寄せ場・横浜寿町での識字と匂いたつことばたち。被差別部落のくらしとことば。精神障害者の「明日に向かって生き続けたい」という願いが生み出す「幻覚・幻聴」。犯罪経験者や受刑経験者の当事者ミーティングで語られることば。それらはすべて、悩み・苦労の中で編み出された生存戦略のことばだ。

ひととことばと場所が織りなす、いのちの源泉について、自分なりに表現してみたい、と思い立ったのだ。さてさて、どんな旅になるのやら。お付き合いいただければ、超ハッピーである。

 

[ライタープロフィール]

阿部寛(あべ・ひろし)

1955年、山形県新庄市生まれ。生存戦略研究所むすひ代表。社会福祉士。保護司。
20代後半から、横浜の寄せ場「寿町」を皮切りに、厚木市内の被差別部落、女性精神障害者を中心とするコミュニティスペースで人権福祉活動に取り組む。現在は、京都を拠点として犯罪経験者・受刑経験者、犯罪学研究者、更生保護実務者等とともに、ひとにやさしい犯罪学、共生のまちづくりを構想し共同研究している。

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