赤毛のアンのお茶会 第8回

  

第8回 なぜリンド夫人は初対面のアンに「みっともない」と言ったのか?

南野モリコ

 

アヴォンリー村の常識人、リンド夫人

 

『赤毛のアン』がきっかけで欧米のおもてなしカルチャーに目覚め、英米文学に出てくる「お茶」の場面を愛する筆者が、『赤毛のアン』のお茶の場面をしつこく深読みするコラム。なんと第8回となりました。

 

ネットフリックス製作のドラマ『アンという名の少女』がNHKで始まりましたね。原作を忠実に映像化していると思いきや、現代の視点で大胆にアレンジがされています。『アン』といえば「料理や手芸がでてくる保守的な小説でしょ」と勝手にイメージしていた人たちをも取り込むパワーがあると信じています。なんといっても地上波放送ですから影響力が違いますね。新しい解釈も出てくることでしょう。「ふーん、こういう見方もできるのね。レイヤーケーキ食べたい」と言いながら、このコラムもお読み頂けると嬉しいです。

 

さて、新型コロナウイルスの影響で生活が急激に変化しました。趣味といえば読書と紅茶くらいしかない筆者は、家にいる時間が長くなると、アンが憧れた完璧にエレガントなお茶会について妄想の世界に行ってばかり。アンがマリラに使いたいとねだったバラの蕾のティーセットとはどんなものだったのかしらと想像したり。そんな時に、手がかりとなる貴重な情報が入りました。8月19日にカナダのリースクデイルからオンラインで行われた、『「赤毛のアン」を書きたくなかったモンゴメリ』の著者の梶原由佳さんのセミナーで、モンゴメリがフランスのリモージュのティーセットを愛用していたことが分かったのです。

 

リモージュはフランス中央部の磁器の産地で、アビランド、レイノー、ベルナルドなどのメーカーが有名です。なぜフランスの磁器がイギリス領のカナダ東部に? と思いますよね。実はアビランドの創設者デヴィッド・アビランドはニューヨークで貿易商をしていたらしいのです。モンゴメリがどこのメーカーの茶器を使用していたかまでは分かりませんが、リモージュで作られた磁器がニューヨークを経由して北米に流通していたなら、オンタリオ州リースクデイルに住むモンゴメリが愛用したのも納得できますね。『赤毛のアン』ではジェリー・ブートらフランス人を差別的に描いたモンゴメリですが、ティーセットとなると話は別だったのかもしれませんね。

 

梶原由佳著『「赤毛のアン」を書きたくなかったモンゴメリ』青山出版、2000年

 

では本題に移ります。皆さんが『赤毛のアン』を初めて読んだ時、何か他の小説とは違う不思議な感じがしませんでしたか? アンが孤児院から男の子と間違ってアヴォンリー村にやってきたところから物語は始まりますが、主人公アンが登場するのは第2章、しかもアン・シャーリーという名前が分かるのは第3章です。

 

『赤毛のアン』はリンド夫人の登場から始まります。さらに、リンド夫人の人柄を説明する部分を読んだだけで、この先に出てくる主人公は、このやり手主婦とは全く違うタイプであり、ふたりはきっと衝突するだろうなということが想像できます。アヴォンリー村の古い常識がリンド夫人であり、彼女の性格を読者の頭に入れ込むことで、これからやってくる主人公に期待を持たせているのです。『赤毛のアン』の優れている点のひとつは、この秀逸なオープニングだと思います。

 

さて、このリンド夫人、読者の想像どおり、第9章でアンと騒動を起こします。カスバート兄妹がアンを引き取ったと聞き、様子を見に行った時に、初対面のアンに向かって「なんてやせっぽちでみっともないんだろうね」と、耳を疑うような発言をするのです。『赤毛のアン』読者にとっては今更ですが、11歳のアンに面と向かって、こんな暴言を吐くのは大人としておかしくないでしょうか。

 

リンド夫人の言動について「本音を口にすることを誇りにしていて、それがまた面白くて周りから人気のある人」と補足されています。確かに、リンド夫人がずけずけものを言う性格であることは『アンの青春』のハリソンさんも言っています。新任の牧師を選ぶ時に意見をしたり、アラン牧師着任の前にも教義について細かく質問して人物を見極めることをしています。しかし、これは村のために必要なことをしているのであって、誰かを攻撃しているわけではありません。

 

第15章で、アンが教室に入るのが遅れたことでフィリップ先生にひとりだけ罰を与えられたことに傷つき「もう学校に行かない」と言い張った時にも、「アンの好きなようにさせた方がいい」と賢いアドバイスをマリラにしています。そして『アンの青春』第9章では、ティモシー・コトンにバターを盗まれたのに、一言も咎めず、盗んだことを知らないコトンの奥さんに「カブみたいな味がした」と文句を言われた時にも、盗まれたことには触れずに、ただ「すみませんでした」と謝る、神様のような対応をしているのです。改めてリンド夫人の場面を読んでみると、なぜ初めて会ったアンには「やせっぽちでみっともない」と、言わなくてもいいようなことを言ったのかが疑問なのです。

 

淺岡敬史著『フランス洋食器の旅』リブロポート、1996年

 

そこで思い出すのが「リスペクタビリティ」というこの時代特有の精神です。18世紀末から19世紀はじめにイギリス中流階級にみられた価値観で、「世間の人に尊敬されるような暮らしや行いをしなければならない」という考えです。

菱田信彦著『快読「赤毛のアン」』(彩流社、2014年)によると、カナダのイギリス系社会は、イギリスのように階級差が確立しているわけではないので、リスペクタブルの基準が設定しにくく、最も確実なやり方は中流階級の人々がつくと言われる職業、聖職者、医師、教師などの知的職業につくことでした。つまり「リスペクタブルである」とは本人の行いより、「他人からどう見られるか」が重要なのです。

 

リンド夫人とマリラは長いつきあいで、夫トーマスの死後は、グリーン・ゲイブルズでマリラと共同生活をするくらい親しい間柄です。そんな気心の知れたマリラがどこの馬の骨とも分からない孤児を引き取ると聞いたので、つい本性が出て「みっともない赤毛」と言ってしまったのでしょうね。ま、単なる深読みですけどね。

 

お茶会は「リスペクタブルな暮らし」の発表会

 

前出の『快読「赤毛のアン」』で分かるように、『赤毛のアン』はリスペクタビリティ精神がてんこ盛りの作品です。アンが憧れるアラン夫人は牧師夫人、アンはクイーン学院に進んで学校の先生になりますし、アンの亡くなった両親も高校の先生でした。ギルバートも医学部に進み医者になりますよね。

このコラムが深掘りしている「お茶会」もリスペクタブルの象徴です。ヴィクトリア時代に紅茶が流行したのも、背景にリスペクタビリティの精神があったからです。お茶会にはアルコールが出ませんし、舞踏会やディナーと比べるとコストもかからず経済的です。禁酒運動が盛んだった時代に、お茶会でもてなすことは、贅沢をせずに近所付き合いをし、子どもの教育の成果や道徳的な暮らしを披露する、リスペクタブルなライフスタイルだったのです。

 

L・M・モンゴメリ著、水谷利美訳『ストーリー・オブ・マイ・キャリア 「赤毛のアン」が生まれるまで』(柏書房、2019年)

 

第21章のアラン牧師夫妻を招いてのお茶会も、マリラの料理のレパートリーの豊富さと、アンがレイヤーケーキを焼けるくらいまで成長したところを見せるという裏テーマがあったのは間違いありません。

ところで、このレイヤーケーキ事件、モンゴメリが実際に経験した実話が基になっているんです。水谷利美版モンゴメリの自伝『ストーリー・オブ・マイ・キャリア 「赤毛のアン」が生まれるまで』(柏書房、2019年)によると、モンゴメリが教師時代、ビデフォードの牧師館に下宿していた頃、知人の牧師を招待してのお茶会に、牧師夫人が焼いたレイヤーケーキが塗り薬入りケーキだったのです。

アラン夫人のお茶会と同じく、テーブルに出して食べるまで誰も気づかず、明らかに変な味だったにも関わらず、誰もケーキに突っ込むことなく、一口も残さず食べたのだとか。モンゴメリは「おかしくて仕方なかった」と書いていますが、これがヴィクトリア時代の古い人々だったのでしょうね。

『赤毛のアン』の時代のお茶会は、現代のホームパーティとは違い、高価な食器や料理の盛り付けでマウンティングし合い、形式ばった会話をするものだったのです。第21章のレイヤーケーキ事件は、そんなお堅いお茶会をモンゴメリ流のユーモアでからかったのだと思います。こんな形だけの会話はやめて、素顔を見せましょうよ。アンのレイヤーケーキ事件には、そんな脱ヴィクトリアニズムのメッセージが込められていたのかもしれません。ま、単なる深読みですけどね。

 

参考文献

モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』集英社、2000年

 

 

[ライタープロフィール]

南野モリコ

映画配給会社宣伝部勤務を経てライターに。大学時代、イギリスに遊学したことをきっかけに紅茶の魅力に開眼。リプトン・ブルックボンド・ティースクールで学ぶ他、『不思議の国のアリス』『赤毛のアン』他、英米文学作品に描かれる「お茶の時間」を研究する。紅茶、日本茶はじめ世界のお茶を愛し、これまで飲んだお茶は1000種類以上。ツイッター:「モンゴメリ『赤毛のアン』が好き!」

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