赤毛のアンのお茶会 第3回

  

第3回 なぜダイアナは「いちご水」で酔っ払ったのか?

南野モリコ

 

アヴォンリー村ナンバーワンのイケてる女子、ダイアナ

 

『赤毛のアン』がきっかけで紅茶と軽食による「おもてなし」カルチャーに目覚めた筆者が、お茶会の場面から同作品を深読みするコラム第3回です。「ふーん、こんな見方もあるのね。コーンフレーク食べたい」と言いながら、気楽にお読み頂けると嬉しいです。

 

さて、新型コロナウイルスが世界中を席巻していますが、『赤毛のアン』も世界的なパンデミックの余波を感じさせる部分があります。第9章の「リンド夫人は季節はずれのインフルエンザにかかっていたため、アンを引き取ることに決めたマリラを訪れるのが遅くなった」がそれです。

 

トム・クイン著『人類対インフルエンザ』によると、1889年〜91年に世界的なインフルエンザのパンデミックが起こっています。モンゴメリの日記と照らし合わせて、『赤毛のアン』のモデルになった時代と重なります。やり手の主婦、リンド夫人もパンデミックには敵わなかったんですね。

 

アンの両親は「熱病で亡くなった」とされていますが、もしかしたらこれもインフルエンザを意味していたのかもしれません。リンド夫人は、「他の病気と違い、インフルエンザにかかることは「神のおぼしめし」だと言っています。地球が回っている限りウイルスは人類の脅威であり続けるでしょう。

 

トム・クイン著、山田美明、荒川邦子訳『人類対インフルエンザ』朝日新聞出版

 

話を戻します。『赤毛のアン』は、孤児のアンがマリラとマシュー兄妹に引き取られ家族になっていくだけではなく、グリーン・ゲイブルズという生涯安心して住める「家」を手に入れていく物語です。

 

アンはクイーン学院で優秀な成績を収め、エイヴリー奨学金をもらいますが、マシューが亡くなったことで大学進学を諦め、マリラとともに農場を運営していくことを決意します。このことは、ゆくゆくはアンがグリーン・ゲイブルズの家長になっていくだろうということを予感させます。女性が家を相続できなかったこの時代に、孤児だったアンが家長となるとは。アンは孤児文学きっての成功者といえます。

 

クイーン学院に進学して都会に住んでからも、村に帰ることを心の拠り所としています。これはグリーン・ゲイブルズがあるアヴォンリー村こそがアンにとって帰る場所であるコミュニティだからです。

 

アヴォンリー村のコミュニティがアンのホームになり得たのは、親代わりのマリラやマシューがいたからだけではありません。子どもが地域に根を下ろすには、心を許し合える友達の存在が不可欠ですよね。そこで登場するのが「腹心の友」、ダイアナです。

 

筆者から見てダイアナは、『ドラえもん』のしずかちゃんと同じように見えます。しずかちゃんはのび太君たち男子のマドンナですが、しずかちゃんの魅力はルックス的な可愛らしさとかバイオリンのようなお嬢様的な習い事をしているといった外面的なことしか描かれておらず、どんな性格の女の子なのかは読者の想像に委ねられています。ダイアナもやさしい少女であること以外、心情までは描かれることはなく、表面的な描写しかありません。

 

第12章の出会いの場面で、ダイアナはアンに本を貸してくれると言い、部屋に掛ける絵もプレゼントしてくれると約束します。この時、2人は11歳。今でいう小学校高学年の少女が素敵な文房具を持っていると人気者になるのと似ています。

 

またダイアナは日曜学校の聖歌隊で歌っていて、ステイシー先生が公会堂で催した演芸会では合唱で独唱します。誕生日には「完璧にエレガントなお茶会」を開き、演芸会に出かける時にはおしゃれな毛皮の帽子とジャケットを着ています。ファッションセンスがいいことで学校の友達から一目置かれています。アンがダイアナを崇拝する理由は、アンの少女らしい豊かさへの憧れが根底にあるような気がします。

 

さらにダイアナには、音楽の学校に通うお金を出してくれるジョセフィーヌおばさんやダイアナの誕生日を祝いに集まるいとこたちもいます。誕生日に「お泊り」させてくれたり、演芸会(コンサート)を見に街に連れ出してくれるのもダイアナです。同じアヴォンリーに住んでいながら、バリー家はどこか都会的でセレブな雰囲気が漂います。ダイアナな、アンが欲しくても手に入らない家柄と体験があり、そのどちらもアンに分け与えています。アンを家族として迎えたのがマシューとマリラなら、ダイアナは「社会」に導いたと言えます。夢の世界の住人だったアンに、現実で生きる楽しさを教えたのがダイアナだったのです。『アンの幸福』でレッドモンド大学に進み、生きる世界が広がった後も2人の友情が変わらなかったのは、その扉を開けてくれたのがダイアナだったからでしょう。ま、単なる深読みですけどね。

 

なぜダイアナは「いちご水」で酔っ払ったのか?

 

ところで第19章ではダイアナの誕生日のお茶会が開かれますが、それについては「完璧にエレガント」と一言、説明されただけで終わります。『赤毛のアン』には、お茶会が具体的に描かれた場面が2つありますが、どちらもエレガントとは言い難い結果に終わっています。そのひとつはダイアナが「いちご水」で酔っ払うエピソードです。

 

第16章『お茶会、悲劇に終わる』では、カーモディの後援会に出かけている間、ダイアナとお茶会をしてもいいとマリラがアンに言います。お茶会に憧れていたアンは両手を握り合わせて喜び、「薔薇のティーセットを使ってもいい?」と尋ね、マリラはそのリクエストを即行で却下します。高級なティーセットは牧師様のような公式なお客様にお出しするもので、子どものアンには普段使っている茶色いお茶道具で十分だと言うのです。

 

これにはマリラのささやかな虚栄心が隠されています。ティーセットというのは、お茶を飲むためだけに使われるものです。食事用とは別にお茶専用のカップやお皿を持っているということは、生活に余裕があることを意味するのです。上等なティーセットは大切な来客のためにとっておきたい、子どもに使わせて割られては大変と思うのは、主婦ヒエラルキーの上位でありたいマリラの野心の表れと見ました。

 

ヴォルフガング・シュヴェルブシュ著、福本義憲訳『楽園・味覚・理性 嗜好品の歴史』法政大学出版局

 

この時、アンはマリラが作った自慢の「いちご水」(ラズベリー・コーデュアル)と間違えてスグリ酒をダイアナに飲ませてしまい、ダイアナはふらふらに酔っ払ってしまいます。ダイアナにちょっかいを出している男子たちには見せられない光景ですよね。ルビー・ギリスやジョージー・パイに知られたら学校でどんな噂を流されるか分かりません。

 

松本侑子著『誰も知らない「赤毛のアン」』で紹介されていますが、この「いちご水事件」の背景には、イギリス系プロテスタントにより進められた禁酒運動があります。1890年頃、産業が進んだカナダには貧しい労働者と富める富裕層の間で格差が広まり、貧困層は飲酒により労働に対する意欲を失っていたのです。

 

アヴォンリー村のカスバート家のような労働者にお茶会が普及したのも禁酒運動が関係しています。アルコールを出すディナーではなく「お茶に招く」ことで、人々は自分たち家族が勤勉でリスペクタブルであることを示していた訳です。

 

それにしても、どうしてアンはコーデュアルとスグリ酒を間違えるなどという“天才的な”失敗をしたのでしょうか。アンはカスバート家に来る前にハモンドさん、トーマスさんの2軒の家で子守りとして雇われていて、第18章でダイアナの妹ミニー・メイが夜中に熱を出した時には、看護師顔負けの応急処置をして医者に褒められるくらいデキる一面もあるのです。それなのにレイヤーケーキにバニラと間違えて塗り薬を入れたり、鍋の蓋をし忘れてネズミが溺れ死んでいたり、キッチンでの失敗が多すぎます。

 

これにはモンゴメリの家族観が見受けられます。モンゴメリにとって、キッチンに入って料理をするのは、その家の家族だけなのです。

 

アンはカスバート家に引き取られるまで、「どこにも属していなかった」と言っています。ハモンドさんの家でもトーマスさんの家でもアンは雇い人であり、家族の一員ではありませんでした。だから3組もいる双子の世話は任されても、キッチンに入って料理を手伝わされることはなかったのでしょう。マリラはアンに農場を手伝わせる代わりに料理を仕込みます。これはアンとマリラが母と娘になるのに必要な行程だったのだと思います。

 

料理が苦手だったアンも、尋ねてきたリンド夫人にホットビスケットを焼いて持ってくることも難なくこなせるまでに成長します。この時のマリラは娘を育て上げた母そのものです。ま、単なる深読みですけどね。

 

参考文献

モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』集英社、2000年

 

 

[ライタープロフィール]

南野モリコ

映画配給会社宣伝部勤務を経てライターに。大学時代、イギリスに遊学したことをきっかけに紅茶の魅力に開眼。リプトン・ブルックボンド・ティースクールで学ぶ他、『不思議の国のアリス』『赤毛のアン』他、英米文学作品に描かれる「お茶の時間」を研究する。紅茶、日本茶はじめ世界のお茶を愛し、これまで飲んだお茶は1000種類以上。ツイッター:「モンゴメリ『赤毛のアン』が好き!」

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