赤毛のアンのお茶会 第2回

  

第2回  アンのお茶会は誰のため?

南野モリコ

 

マリラがお茶会に力を入れまくるのはなぜ?

 

『赤毛のアン』がきっかけで紅茶と軽食による「おもてなし」カルチャーに目覚めた筆者が、喫茶と食文化から同作品を深読みするコラム第2回です。

 

『赤毛のアン』には、第16章の「いちご水事件」、第21章「レイヤーケーキ事件」の他、お茶とお菓子でおもてなしをするエピソードがいくつか登場します。

物語の「お茶」にスポットを当てると、アンやダイアナ、マリラ他、お馴染みの登場人物たちの違う一面が見えてくるかもしれません。

 

「考察」や「論評」のような立派なものではなく、あくまで「深読み」ですので、「ふーん、こんな見方もあるのね。パンケーキ食べたい」と、紅茶を片手に気楽に読んでもらえると嬉しいです。

 

テリー神川著『「赤毛のアン」の生活辞典』講談社

 

コラムのタイトルは「赤毛のアンのお茶会」ですが、『赤毛のアン』第21章で描かれるアラン牧師夫妻を招いてのお茶会は、カスバート家の女主人、マリラが開いた「マリラのお茶会」です。「彩マガ」読者は、世代的にはマリラに近いと思います。気が付いたらマリラ目線で読んでいた、という方が多いのではないでしょうか。

 

アンを厳しく教育することから、マリラのことを生真面目で古いタイプの女性のように思うかもしれません。しかし、孤児を引き取って育てようとしたのはマリラ。青春時代に好きな人と喧嘩別れしたことから、誰とも結婚せず独身を貫いたマリラは自分の考えを持った新時代の女性だったのだと思います。

 

古風で生真面目なのはむしろリンド夫人です。第1章でマリラが男の子を引き取ると聞いたリンド夫人は、「あんたたちは、とんでもないことをしでかそうとしているんだよ」と、腰を抜かさんばかりに驚き反対します。彼女は、日曜学校を手伝ったり、協会援護会と海外伝道講演会の顔役をこなすというやり手の主婦です。アヴォンリー村のご意見番で常識人、異端を許さないのはリンド夫人です。そのリンド夫人が「唖然として5秒ばかりものが言えなかった」くらいなのですから、自分の子どもを授かれなければ養子をとればいい、と割り切った発想をするマリラは、とんでもなく進歩的な女性といえると思います。

 

さて、そのマリラがアヴォンリーに新しく赴任したアラン牧師夫妻を家に招いてお茶会を開くのが、アンがレイヤーケーキに香料と間違えて痛み止めの塗り薬を入れてしまう、有名な「レイヤーケーキ事件」の章です。

 

『赤毛のアン』が発表されたのは1908年。17世紀にオランダからヨーロッパに入った喫茶文化がイギリス全土に広がったのが18世紀末。イギリスの貴族階級でアフタヌーンティーが始まり、自宅でお茶をもてなすことが中流階級、労働者階級まで根付いていったのが1840年頃からですから、アンの時代には地域の要人を自宅でもてなす「お茶会」は一般的なことだったと思います。さらに新任の牧師夫妻を招くということは、「意味のある大切な行事」だったのです。

 

マリラは「アヴォンリーのどの主婦にも遜色のないようにもてなそう」と決心します。「お茶に招く」と言っていますが、21世紀の日本に住む私たちにとっての「お茶に招く」とはレベルが違います。

 

マリラは水曜日のお茶会のために、チキンのゼリー寄せ、牛タンの冷菜など、16品の軽食を2日間かけて準備しています。しかも、パンは焼き立てと焼いて数日経ったものと2種類、用意しています。焼き立てのパンは酵母の作用が強いので、「牧師夫妻が胃弱だったら体に悪い」と考えられていたからです。

 

なぜ、マリラはこんなに気合たっぷりにお茶会のもてなしをするのでしょうか? ひとつには、コラム『一杯の紅茶と英文学』第5回「『赤毛のアン』のお茶会」にも書いたように、これまでマリラがしてきた教育の成果を見せる目的があります。「レイヤーケーキを焼いてもいい?」というアンの頼みを聞き入れたのも、11歳の女の子であれば、レイヤーケーキくらい一人で焼けるようになっていなければいけないという、女子教育の暗黙の了解があってのこと。

 

しかし、マリラの根底にあるお茶会の狙いは、牧師夫妻の前で料理の腕前を披露して、主婦として認められることだったと筆者はにらんでいます。そして、マリラの主婦としてのスキルをジャッジするのは、牧師ではなく妻のアラン夫人でしょう。

 

『赤毛のアン』では、マリラはじめ女性たちは人生の大半をアヴォンリー村の地域コミュニティの中で過ごしており、女性たちは主婦であることを自分のアイデンティティとしています。その中でリンド夫人のような「やり手の主婦」がいるわけですから、女性たちは、常日頃から料理や手芸ができるという評判によって、マウントを取り合っていることが想像できます。牧師夫人というコミュニティで尊敬される立場にあるアラン夫人が「マリラの料理は素晴らしかった」と言ったことが広まれば、マリラ地域カースト上位に君臨できるかもしれません。マリラは、自立した新しい女性であるだけでなく、アヴォンリー村の主婦コミュニティで負けたくないという、女性らしい野心もあったわけです。

 

第21章「レイヤーケーキ事件」で終わるお茶会は、アンにとっては崇拝するアラン夫人に自分の作ったケーキを食べてもらいたいという純粋な気持ちで始まったのに対し、マリラは主婦としてのヒエラルキーがかかった勝負の一日だったという、2人のすれ違いが面白い場面として読むこともできますね。ま、あくまで深読みですけどね。

 

なぜ女子は「アンのお茶会」に憧れるのか?

 

筆者が11歳で初めて『赤毛のアン』を読んだ時、アンのようにのぼせ上がって何度も読んだのは「レイヤーケーキ事件」と「いちご水事件」でした。筆者のツイッターに寄せられるコメントを見ても、“アンといえばお茶会”というファンの方は多いようです。『赤毛のアン』に出てくるお茶会は家庭と地域コミュニティが重なる場面。家に友人を招くお茶の時間は近代英米文学作品によく登場しますが、都会の華やかなカフェではなく、家というありきたりの日常を非日常に彩るイベントだから、お茶会は、文学の中で光るのでしょうね。

 

横川寿美子著『「赤毛のアン」の挑戦』宝島社

 

ところで、2020年は東京オリンピック・パラリンピックの年。「オリパラ」とも略されますが、東京2020の成功はパラリンピックの成功にかかっていると言われています。少子高齢化が進む日本が経済的に成長していくには、企業でも地域でも高齢者と若者が助け合う「共生社会」を実現させなくてはならないからです。

 

グリーン・ゲイブルズにやってきた時、アンは11歳。マリラは50代、マシューは60歳、リンド夫人も50代と見られます。お茶会に招かれるアラン夫人、ダイアナのおばさんのバリー夫人など、11歳の少女にしては年齢層の高い人たちと渡り合っています。学校に行けば、アンを「にんじん」と呼んでからかったギルバートもいるし、ジョシー・パイやルビー・ギリスら女友達はどこか信頼できない。お弁当のデザートに持ってきたお菓子を配らないといって「ケチ」と陰口を叩かれないように人数分用意することも忘れません。また、アヴォンリー村は、スコットランド系のカスバート家、アイルランド系のバリー家、リンド夫人など、様々な国にルーツを持つ人々がコミュニティを作っています。つまり、アンは11歳という年齢にも関わらず、アヴォンリー村の多様な社会に共生しているのです。

 

孤児であることでいじめに遭うことはありませんが、ともなればアヴォンリー村では、子どもなりに社会の目を気にして生きていることになります。11歳にしてアンは社会に揉まれているのです。

 

一方、家で楽しむお茶会は、厳しい世間から離れ、守られています。薔薇のつぼみのティーセットは使えないけれど想像の翼は広げられる。小さなレディになって「ごきげんよう。お母さまはお元気?」と挨拶しても馬鹿にして笑う人もない。完全に安心できる女の子の秘密基地。それが『赤毛のアン』のお茶会なのです。

 

行間から読み取れるヴィクトリア時代風のインテリアやファッションに加え、「守られた安全さ」があることから、読者は『赤毛のアン』のお茶会に魅了され、料理やもてなしに憧れるのだと思います。ま、あくまで深読みですけどね。

 

参考文献

モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』集英社、2000年

L.M.モンゴメリ、ウェンディ・E・バリー、マーガレット・アン・ドゥーディ著、山本史郎訳『完全版・赤毛のアン』原書房、1999年

 

 

[ライタープロフィール]

南野モリコ

映画配給会社宣伝部勤務を経てライターに。大学時代、イギリスに遊学したことをきっかけに紅茶の魅力に開眼。リプトン・ブルックボンド・ティースクールで学ぶ他、『不思議の国のアリス』『赤毛のアン』他、英米文学作品に描かれる「お茶の時間」を研究する。紅茶、日本茶はじめ世界のお茶を愛し、これまで飲んだお茶は1000種類以上。ツイッター:「モンゴメリ『赤毛のアン』が好き!」

赤毛のアンのお茶会 バックナンバー