赤毛のアンのお茶会 第14回

  

第14回 なぜマリラはアンをクィーン学院に進学させたのか?

南野モリコ

 

『赤毛のアン』読者歴、四半世紀以上の筆者が勝手気ままに作品を深読みしていく当コラム。連載開始から足掛け2年目に突入し、まだまだしつこく続きます。「そんな見方もあるのねぇ。ホワイトデーのクッキーでも食べよ」などと言いながら、気楽にお読みいただけると嬉しいです。コロナ禍の現実を束の間でも忘れられますように。



イラスト:夢野みよこ


勉強は「孤独」に強くなるためのレッスン

 

卒入学のシーズンですね。アンはクィーン学院に進学し、エイヴリー奨学金を手にして大学進学への野心を持つも、マシューの死によりグリーン・ゲイブルズに残りマリラを助ける道を選びます。

孤児だったアンが何よりも望んでいたのは家と家族です。大学進学を諦めたことを聞いたギルバートはアンにアヴォンリー村の小学校の教職を譲り、二人の仲違いは終わります。進学を諦めたことからアンが望んでいたすべてが手に入ったのですからハッピーエンドではあるのですが、この結末を「女性が社会進出を諦め、家族に尽くすことをよしとする自己犠牲の物語」と否定的に評価する研究者も少なくありません。卒業と進学は『赤毛のアン』に大きな意味を与えています。

『赤毛のアン』には、大小様々なお茶の場面が描かれていますが、多くがもてなしのお茶の時間です。

バッジ・ウィルソンによるスピンオフ作品『こんにちはアン』に出てくるトマス家、ハモンド家のお茶は家族のお茶であり、労働の疲れを休めるお茶です。

それと比べると、『赤毛のアン』のお茶は、ダイアナやアラン牧師夫人ら、親しい友人を招いたおもてなしのお茶会。外に向けられたお茶の時間です。アンという少女に広く開かれた未来が約束されていることを暗示しています。


第30章でステイシー先生がアンをクィーン学院に進学させて教師にしてはどうかと提案します。アンの勤勉ぶりを見てきたマリラもステイシー先生の提案を受け入れます。

アンを引き取るなら、養母として責任もって育て、教育もきちんと受けさせようと決めていたとマリラは話します。しかし、どうしてマリラはアンにクィーン学院進学を勧め、受験勉強をさせようとしたのでしょうか?


そこには、結婚しないで生涯独身を貫いたマリラならではの、「孤独観」があるのではないかと筆者は深読みしています。


多くの人にとって勉強が辛く苦しいものであるのは、仲のいい友達から離れて、一人で取り組まなければいけないことだからです。受験という難関を突破し、未来への栄光を勝ち取るのには、勤勉さと同じくらい孤独に耐える強さが必要です。勉強の一番の敵は「孤独」なのです。


結婚しないで一人で生きてきたマリラは、孤独に耐える強さを備えています。

「女の子はその必要がなくても、生活費くらい自分で稼げるようにしておいた方がいい」とマリラは言いますが、それは「一人で生きていける強さがあった方がいい」とも読み取れます。

孤独に勝てる強さを身につけて欲しい。そんな願いから、マリラはアンをクィーン学院に進学させたがったのでないかと筆者は深読みしました。

 

勉強は「自立」への一歩


進学を決めたことは腹心の友、ダイアナと違う人生を選ぶことでもあります。


第30章でクィーン学院を目指すことを決めた時、アンは13歳。将来を意識するこの年頃の少女には、友達もまた重要な存在です。


ダイアナは母親のバリー夫人が「本ばかり読んでいて困る」と言うくらいですから、勉強好きであると想像できます。でもダイアナは両親の考えからクィーン学院を受験しません。当時の女性は経済的にも教養的にも男性に依存するのがリスペクタブルだったからです。カシス酒を作るマリラとそれをよく思わないバリー夫人という、家の考え方の違いがここでも分かります。


どんなに仲がいい友達でも、やがてそれぞれの道を選ぶことになります。


勉強とは孤独に耐えながら一人でするもの。

知識を積み上げると同時に、自分の頭でものごとを考える、つまり、大人への成熟の一歩でもあります。


アンに大人になるきっかけを与えたい。そんな思いからマリラはアンにクィーン学院への進学を勧めたのではないでしょうか。


アンは友達も多いけど、孤独にも強い。社会性があって孤独ともうまくつきあえたら、無敵ですよね。ま、単なる深読みですけどね。



参考文献

モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』(文藝春秋、2019年)

 

 

[ライタープロフィール]

南野モリコ

『赤毛のアン』研究家。慶應義塾大学文学部卒業。映画配給会社、広報職を経て執筆活動に。Twitter:モンゴメリ『赤毛のアン』が好き!

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