赤毛のアンのお茶会 第11回

  

第11回 アンのお母さんは誰?

南野モリコ


生後3か月のアンを残して亡くなったバーサ・シャーリー

 

『赤毛のアン』がきっかけで欧米の喫茶文化のとりこになった筆者が、「お茶会」をキーワードにアヴォンリー・ワールドを深読みするコラム、第11回です。「ふーん、こういう見方もあるのね。クリスマス・ティーでも飲もう」と言いながら、気楽にお読み頂けると嬉しいです。

松本侑子さんの新訳『アンの夢の家』(文藝春秋)が発売になりましたね。村岡花子さんの翻訳に親しんでいた読者の方でも松本訳ファンは多いと思います。読まれる理由は、ひとつは村岡版『赤毛のアン』は、原作の一部が訳されていなかったのが、松本侑子版は全訳であること。そしてもうひとつは、巻末に付けられた豊富な解説です。

 

モンゴメリ著、松本侑子新訳『アンの夢の家』(文藝春秋、2020年)

 

 

『赤毛のアン』に関連する書籍は1970年代から定期的に刊行されていましたが、多くは、『赤毛のアンのお料理ノート』(本間美千代、トシ子著、文化出版局、1979年)のような、料理や手芸、ライフスタイルに関する本か、プリンス・エドワード島の美しい風景写真を使た観光に誘うものでした。そういった関連本が『赤毛のアン』の理解を深めることに一役買ったことには違いありませんが、表面的で軽い内容であることは否めません。読むのも若い女性だけだったでしょう。松本侑子版『赤毛のアン』は、日本初の完訳であると同時に、日本で初めて『アン』シリーズを文学的に考察した、優れた評論なのです。松本版『赤毛のアン』が、日本におけるモンゴメリ作品の価値を高め、出版の流れを変えるきっかけとなったと考えるのは、単なる深読みではないでしょう。

 

さて、『赤毛のアン』の主人公、アン・シャーリーは、男の子と間違われてアヴォンリー村のカスバート家にやってきた孤児の女の子です。両親は二人とも高校の先生で、「お父さんの名前は、ウォルター・シャーリー、お母さんはバーサ・シャーリー。お母さんは結婚して先生は辞めたわ。二人とも私が生まれて3か月後に熱病で死んだの」と第5章でアンはマリラに話しています。アンの両親について分かることはこれだけです。カスバート家に引き取られてから、アンを育てるのはマリラであり、物語の上ではマリラがアンの母親のように見えます。

 

しかし、マリラ本人には自分のことをアンの母親代わりという自覚があるようには思えません。マリラはマシューに「アンを教育するのはこの私」と言っていますが、アンがグリーン・ゲイブルズに住むことになり、「何と呼べばいい?」と尋ねた時、お母さんでもおばさんでもなく、「マリラでいいよ」と答えています。マリラはアンの養母であるけれど、母親ではないのです。

 

そこで思い出すのがダイアナの存在です。アンとダイアナは、第12章でダイアナの家で初めて会ったその日に「ずっと友達でいる」ことを誓い合ってから、お互い別々の道を進みながらも、友情が変わることはありませんでした。

 

『赤毛のアン』で、リアリティに欠けるのは、アンとダイアナの関係です。これを読んでいる皆さんもご存じのように、10代の女の子同士の友情ほど難しいものはありません。『赤毛のアン』のオマージュ作品、『本屋さんのダイアナ』でも描かれているように、女子の友情と嫉妬は紙一重ですからね。

アヴォンリー村を出て、大学に進学し、高校教師となったアンは、ギルバートと結婚します。大学進学後は、休暇で帰ることはあっても、グリーン・ゲイブルズに住むことはありませんでした。裕福な家庭で育ったダイアナより、孤児だったアンの方が自分以上の高等教育を受け、社会進出をする。仲の良かった友達で進学しないのは自分だけ。現実であれば、アンに嫉妬心を持たないはずがありません。アヴォンリー村に残った幼馴染みの方が近い存在になり、幼い頃の「ずっと友達でいる」という約束は忘れられていくのが現実です。

 

しかし、ダイアナは、村を出ていくアンを優しく送り出し、帰ってくるのを静かに待ちます。この関係は、友達や姉妹というより、母と娘のように思えるのです。アンはダイアナを「腹心の友」と呼んでいますが、本当の腹心の友はマリラです。ダイアナはアンの母として書かれたのではないかと筆者は深読みしています。

 

松本侑子訳『赤毛のアン』巻末の「訳者によるノート」にも、マリラという名前の由来は、聖母マリア、アンの名前はマリアの母、アンナに由来するとあります。そして、ダイアナは、ローマ神話の月の女神ダイアナ。『赤毛のアン』は、孤児アンとマリラの成長、それを遠くから月のように見守るダイアナの物語なのでしょうね。

 

アンはグリーン・ゲイブルズを守ったのか?

 

本コラムでは、家と社会の真ん中にある「お茶会」を切り口にして作品を長々と深読みしていますが、『赤毛のアン』はじめモンゴメリ作品全体に横たわるのは、「女性と家」という問題だと筆者は考えます。

 

柚木麻子著『本屋さんのダイアナ』(新潮社、2016年)

 

『赤毛のアン』の画期的な点は、孤児だったアンが家族を手に入れただけでなく、グリーン・ゲイブルズという家の家長となり、やがては相続することを予感させる物語であることです。モンゴメリが生きた時代、イギリス領であったカナダには限嗣(げんし)相続という制度があり、家はその家の長男か一番近い親族の男性しか相続できませんでした。モンゴメリは幼くして母を亡くし、父親からも離れて祖父母の家で育ちましたが、限嗣相続という制度ひとつのために、思い出の詰まった家に住み続けることができなかったのです。マシューが亡くなり、アンは大学進学を諦めますが、グリーン・ゲイブルズが他人の手に渡ることから守ります。『赤毛のアン』のラストは、モンゴメリ自身の願いを託していると言えます。

 

しかしこの深読みは、現代の読者にとっては納得いかないかもしれません。

先に書いたように、アンがアヴォンリー村のグリーン・ゲイブルズに住んだのは、シリーズのうち『アンの青春』までで、『アンの愛情』以降は、レッドモンド大学時代にはキングス・ポートの「パティの家」、卒業して高校教師になってからは、サマーサイドの「風柳荘」、結婚してからはフォア・ウィンズの「夢の家」、セント・グレン・メアリの「炉辺荘」に住み、グリーン・ゲイブルズは遠い昔の思い出となるからです。

 

これは、モンゴメリ自身の人生と重なります。モンゴメリは、祖父の遺言で育った家が親戚の手に渡ってしまったため、ユアン・マクドナルド氏と結婚してトロントに移り住んでから、プリンス・エドワード島に住むことはありませんでした。

 

では、グリーン・ゲイブルズはどうなったのかというと、「僕、知りたいな」でおなじみ、デイヴィ・キースが継いでいます。『虹の谷のアン』では、アンの子どもたちが大好きな「デイヴィおじさん」として、名前だけ登場し、農場を経営していることを想像させています。

 

グリーン・ゲイブルズの売却を阻止したのもアンですし、マリラがデイヴィを引き取ることに賛成したのもアンです。アンがグリーン・ゲイブルズを守ったことに違いはないでしょう。しかし、アン・シリーズの読者は、いつかアンが再び「グリーン・ゲイブルズのアン」に戻ることを期待しながら読んだのではないでしょうか。『炉辺荘のアン』でアンが子ども時代を振り返る時に、「懐かしいグリーン・ゲイブルズ」と話すのに、軽い失望を感じたのは筆者だけではないでしょう。

 

アンとギルバートは結婚しなくてはいけないし、結婚したら二人の家を持つのは自然なことです。でもでも、もしモンゴメリが21世紀に生きていたら、グリーン・ゲイブルズは、アンの家になっていたと思うのです。「夢の家」もオーウェンとレスリーという家族同然の友達に譲ることで、アンの宝物であり続けたのですから。生きて歩くストーリー工場、モンゴメリが今、生きていたら、どんな「その後のグリーン・ゲイブルズ」で、読者の目を輝かせたのでしょうか。

 

 

新型コロナウイルスの騒ぎが起こり、通勤からテレワークになったことから、都心を離れて、自分の住みたい土地に移住する人が増えていると聞きます。会社ではなく、自分中心で住む場所を選べるようになるとしたら、コロナ禍も悪いことばかりではありませんね。アンがグリーン・ゲイブルズを慈しんだように、人と家の繋がりが強くなる時代がまたやってくるかもしれません。

 

参考文献

モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』(文藝春秋、2019年)

 

 

[ライタープロフィール]

南野モリコ

映画配給会社宣伝部勤務を経てライターに。大学時代、イギリスに遊学したことをきっかけに紅茶の魅力に開眼。リプトン・ブルックボンド・ティースクールで学ぶ他、『不思議の国のアリス』『赤毛のアン』他、英米文学作品に描かれる「お茶の時間」を研究する。紅茶、日本茶はじめ世界のお茶を愛し、これまで飲んだお茶は1000種類以上。ツイッター:「モンゴメリ『赤毛のアン』が好き!」

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