赤毛のアンのお茶会 第1回

  

第1回 なぜアンはレイヤーケーキに塗り薬を入れてしまったのか?

 

南野モリコ

 

不思議の文学『赤毛のアン』

 

今月からコラムタイトルが変わりました。『一杯の紅茶と英文学』では英文学作品を紅茶を切り口に深読みしてきましたが、今回からはその中でも人気の高い『赤毛のアン』のお茶会の場面について掘り下げようと思います。

『赤毛のアン』に出てくる二つのお茶会エピソード、第16章の「いちご水事件」や第21章「レイヤーケーキ事件」を掘り下げると、アンと作者モンゴメリが生きた時代が見えてくるのです。紅茶好きな筆者の、いつか役に立つこともあるかもしれない『赤毛のアン』の深読みに引き続きお付き合いください。

 

モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』集英社

 

『赤毛のアン』は1908年、カナダはプリンスエドワード島出身の作家、L・M・モンゴメリ初の長編小説として発表された、孤児で赤毛の少女、アンの成長の物語です。孤児院から“男の子と間違って”アヴォンリー村のグリーン・ゲイブルズにやってきたアンが、持ち前の明るさと聡明さで人々に愛され、養父母であるマシューとマリラ兄妹にとってかけがえのない「家族」となっていきます。原作本を読んでいない人でもテレビアニメやドラマ『花子とアン』で物語を知っている人は多いでしょう。

 

筆者は小学校5年生の時、ポプラ社のダイジェスト版『赤毛のアン』を読み、中学生で新潮社刊行の村岡花子訳で全シリーズを読み、大人になってから集英社の松本侑子訳で全訳を読みました。村岡花子訳は、時代的に日本人には理解できない場面があったため、訳されていない部分があったのです(1)。

 

集英社版の巻末には「翻訳ノート」として松本侑子氏による詳しい解説がついており、それを読めば『赤毛のアン』がイギリスの名作文学の影響を大きく受けている、文学性の高い作品であることが分かります。

 

それを知って、さらに読み直すうちに、『赤毛のアン』は矛盾点が多い、実に不思議な作品であることに気が付いたのです。

 

まず、アンがアヴォンリー村で一度もいじめに遭わないことです。意地悪な見方かもしれませんが、孤児だったアンが誰にもいじめられることもなく、すぐ小学校の子どもたちと仲良くなり、プレゼントまでもらうのはちょっと不自然ですよね。

いじめに近い出来事といえば、ギルバートに「にんじん!」と呼ばれて赤毛をからかわれたことくらいです。しかし、その怒りでギルを石板で殴るくらい赤毛を嫌っていたのに、物語が進むうちに全く触れなくなります。これも少しだけクエッションです。もっとも『赤毛のアン』は日本だけのタイトルであり、アンが赤毛でなくなって困るのは日本の読者だけかもしれませんけどね。

 

また、グリーン・ゲイブルスにもらわれる前は、二軒の家で子守りとして雇われ、ミニー・メイが高熱を出した時にも慌てることなく応急処置をしたしっかり者のアンなのに、キッチンで失敗ばかりしているのも変だと思いませんか? 子だくさんのハモンドさんやトーマスのおじさんの殺伐とした家と違い、緑豊かなグリーン・ゲイブルスは「想像の余地」があって、つい空想の世界に浸ってしまうからなのですが。

それにしても、ペンフレンドへの手紙に「女らしいことが好き」と自己紹介しているモンゴメリが、自身も心躍る時間だったであろうお茶会の場面を、二つとも失敗に終わるエピソードにしたことは、何かひっかかります。

 

なぜアンは「男の子」と間違われたのか?

 

『赤毛のアン』が発表されたのは1908年ですが、物語自体は1888年から1890年頃を舞台としていると思われます。その理由は次回以降に詳しく書くとして、当時イギリス自治領であったカナダは、本国と同様にお茶は生活に根を下ろしていました。

 

第1章で、馬車で出かけていくマシューを目ざとく見つけたリンド夫人は、その理由を知りたくてたまらないのに「お茶がすんだらグリーン・ゲイブルスに出かけよう」と言っています。食事と同様に「お茶の時間」が生活に組み込まれていることが分かります。ここでいう「お茶」とは家事労働の途中にひと息入れるため休憩の時間です。

 

『赤毛のアン』には、第16章と第21章にアンが「お茶会」を開く場面があります。第16章「お茶会、悲劇に終わる」はアンがダイアナを招いて「お茶会ごっこ」をするエピソード、第21章「風変わりな香料」は牧師夫妻を招いたカスバート家のオフィシャルなお茶会ですが、いずれもアンのうっかりミスが原因で失敗に終わります。

 

第16章では、ラズベリー・コーデュアル(村岡花子訳でいう「いちご水」)と間違えてラズベリー酒をダイアナに飲ませてしまい、酔っ払って帰宅したことにダイアナの母親が怒り、アンと遊ぶことを禁止してしまいます。第21章ではアンが焼いたレイヤーケーキにバニラエッセンスと間違えて痛み止めの塗り薬を入れてしまい、村の要人である牧師夫妻にひどい味のケーキを食べさせてしまうことになります。

 

「レイヤーケーキ事件」は、大泣きしているアンを牧師夫人が慰めたことで、その日のうちにアンの気持ちは晴れるし、「いちご水事件」もミニー・メイの救護に行ったおかげでダイアナの母親の誤解もとけ、ジョセフィーヌおばさんとの出会いに続くわけで、どちらも単なる物語の伏線と言えなくもありません。しかし、紅茶で文学を裏付けたい筆者としては、この二つのエピソードを、女性の社会進出に対するモンゴメリの思いが込められた無意識のブラックユーモアとして深読みしたいのです。

 

菱田信彦著界『快読「赤毛のアン」』彩流社

 

さらに考えれば、そもそもなぜ、アンは男の子と間違われてグリーンゲイブルズにやってこなくてはいけなかったのでしょうか? アンの成長の物語であれば、男の子と間違えられるという下りは必要なく、最初からグリーン・ゲイブルズに引き取られる物語でもよかった筈です。モンゴメリは、男の子と間違えられてアンを登場させることで、「女の子の可能性」を描きたかったのに違いありません。

 

料理や手芸などの部分が取り上げられることから、保守的な作品というイメージを持つ人も多い『赤毛のアン』ですが、その先入観なしで読んでみると、女性と社会の関係をテーマとした大人の文学であることが分かります。働き方改革が進められる現代、養母であるマリラとは違った新しい経営法でグリーン・ゲイブルズを守るという結末は、女性の社会との関わり方を示すバイブルともなるでしょう。

と、カッコつけてみましたが、あくまでも深読みです。「へえー、そんな読み方もできるのね。タピオカうまい」とミルクティーでも飲みながら、気楽に読んで頂ければ幸いです。

 

参考文献

(1)モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』集英社、2000年、「訳者あとがき」参考

 

 

[ライタープロフィール]

南野モリコ

映画配給会社宣伝部勤務を経てライターに。大学時代、イギリスに遊学したことをきっかけに紅茶の魅力に開眼。リプトン・ブルックボンド・ティースクールで学ぶ他、『不思議の国のアリス』『赤毛のアン』他、英米文学作品に描かれる「お茶の時間」を研究する。紅茶、日本茶はじめ世界のお茶を愛し、これまで飲んだお茶は1000種類以上。ツイッター:「モンゴメリ『赤毛のアン』が好き!」

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