僕がゲイで良かったこと 第3回

  

第3回 「脱アイデンティティ?」


平良愛香


 前回アイデンティティについて書いた。アイデンティティとは、自分を構成している様々な要素の中で、「これを削ったら自分ではなくなる」と感じる要素だ、と。僕にとっては自分を確かめるためにとても意味のある言葉だと言える。けれどあえて、今回は逆のことを書いてみる(本当はこの連載の流れから、もっとあとで触れようと考えていたのだけど、今書かないと、後で「やっぱり書かなくてもいいや」と思ってしまいそうな気がするし、今書くのがぴったりな感じもしたので、いきなり逆説をぶつけます)。


 LGBTQって聞いたことがありますか? レズビアン(女性同性愛者)のL、ゲイ(男性同性愛者)のG、バイセクシュアル(両性愛者)のB、トランスジェンダー(生まれた時に認定された性別と自分の性自認がイコールではない人)のT、それぞれの頭文字を並べるとLGBTになるし、その便利さと問題点については追々書いていければと思うが、ではQって何?「LGBT以外の性的マイノリティ」という意味で使っていることが多いし、それ自体は間違いではないけど、でも改めて再度問う。「Qって何?」


 自分たちのセクシュアリティを「Questioning(模索中)」の頭文字としてQを使っている人もいるが、本来は「Queer(クイア)」という言葉。(意識的に両方の意味を出したい場合、LGBTQQと表現されることすらある。)


 もともとQueerは侮蔑的な響きのある言葉で、性的マイノリティがバッシングを受け迫害されていたときに罵倒され浴びせかけられた言葉がQueerだった。あえて日本語にするなら「変態」「オカマ」といった言葉だろう。だから今でも欧米でQueerという言葉を嫌う人たちは多い。(ボストンのあるボランティア団体の人から、「サポートが必要な若いLGBTQを支援するためにカンパをお願いします、という看板を持って家々を回る際、高齢のゲイカップルの家を訪問するときは嫌がられないように「Q」を省いた看板と取り換えるんですよ」という話を聞いたことがある。)


 けれど1990年代になってLGBTの中から「私たちはQueerと言われたって恥だと思わなければいい。むしろ『男らしくなくて何が悪い!女らしくなくて何が悪い!』という意味を込めて肯定的にQueerを使っていいのではないか」という声が上がって来た。水平社(*)宣言の「吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ」やアフリカ系アメリカ人によって始まった文化運動「Black is Beautiful」に通ずるものがある。すなわち、「LGBTでもいいけど、そういう枠にすら入れられなくても私は私」という意味をもってQueerを使っている人たちがいる。


「レズビアンはこんなもの」「ゲイはこんな人たち」ではなく、「私は私、こんなもの。型にははまらない。誰にも文句は言わせない。」という表明、あえて言えば「脱アイデンティティ」としての意味を持つこともある言葉なのだ。LGBTQって簡単に使われるけど、もっと広くて深い意味がQには隠されていたんだよ。


 僕の3つのアイデンティティ。でも同時に、「アイデンティティに縛られていないだろうか」ということも問い続けていきたい。


 ね、連載の終盤っぽくなったでしょ。でも大丈夫です。連載は始まったばかりです。

 


**全国水平社とは…1922年に発足した部落解放運動団体。部落解放全国委員会および部落解放同盟の前身となった。

 


[ライタープロフィール]

平良愛香(たいらあいか)

1968年沖縄生まれ。男性同性愛者であることをカミングアウトして牧師となる。
現在日本キリスト教団川和教会牧師。