一杯の紅茶と英文学 第3回

  

第3回 アフタヌーンティーを始めたのは日本人?

南野モリコ

 

日本人と紅茶。

11月1日は「紅茶の日」だった。「日本人が初めて欧米の茶会に出席した日=紅茶の日」として日本紅茶協会が1983年に定めたのである。初めて茶会に出席したとされる人物は、伊勢国の大黒国屋光太夫。1791年、江戸時代のことである。船頭であった光太夫の船が遭難し、ロシア帝国領であったアムチトカ島に漂着。日本は鎖国をしていたので簡単には帰れない。女帝エカテリーナ二世の下に謁見し、帰国できるよう懇願した。それが11月のことであり、茶会にも招かれたと考えられることから、日本人が初めて茶会で紅茶を飲んだ日、紅茶の日となったのである。この「紅茶の日」は、あくまで「日本人が初めて茶会に出席した日」であり、初めて紅茶を飲んだ日ではない。日本人と紅茶のつきあいはもう少し古いものと思われる。

タピオカ・ミルクティー旋風が巻き起こっている今の日本であるが、ミルクティーの原材料となる紅茶がいつ日本に入ったのだろうか?渋谷の若者に聞いたら「戦後でしょ?」という答えが圧倒的に多そうだが、日本の紅茶の歴史は意外と古く、海外からの輸入は1887年(明治20年)から、そして、それよりも早い時代から、日本での紅茶の生産が始まっていたのだ。1878年(明治11年)に『紅茶製造伝習規則』が発令され、現在も続く茶産地の多くで紅茶の生産も行われていた。1937年(昭和12年)には、6,445トンの国産紅茶が輸出されていたのだ(日本紅茶協会ホームページより)。

日本の紅茶産業は現在も続いており、日本で栽培され製茶された紅茶は、「和紅茶」「国産紅茶」などと呼ばれている。ペットボトルにもなっているし、タピオカ・ミルクティーの聖地でもある渋谷にも国産紅茶だけを使ったミルクティー専門店もある。タピオカ抜きのミルクティーが渋谷で女子に大人気なのである。

 

ChaTea紅茶教室『英国紅茶の歴史』(河出書房新社)

 

話を元に戻して、紅茶の日の由来である。日本人として初めて茶会に出席したとされる大黒屋光太夫は、伊勢国、現在の三重県鈴鹿市に暮らす船頭であったが、1782年、伊勢から江戸に向かう途中で遭難し、当時、ロシア領であったアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。当時、日本は鎖国中であったが、なんとしても故郷に帰りたいという思いから、地元の人々の協力を得てまずイルクーツクを目指し、そしてサンクトペテルブルクで女帝エカテリーナ二世に謁見し、日本に帰る許可を得て、1792年、根室港に到着した。謁見が11月であり、茶会にも招かれ紅茶を飲んだであろうということから、光太夫を日本人で初めて欧米の茶会に招かれた人物とし、11月1日が紅茶の日となったのである。

 

井上靖『おろしや国酔夢譚』(文藝春秋)

 

大黒屋光太夫は、井上靖『おろしや国酔夢譚』の原案になっており、1992年には緒形拳主演で映画化もされている。映画も小説もエンターテイメントであり、特に小説のラストは実際の大黒屋光太夫の人生とかなり違うようだが、それにしても日本に帰国するまで9年間、ロシア人と共に生活をしている。勉強好きな光太夫はロシア語も随分覚えたようである。エカテリーナ二世謁見前に紅茶を飲んだことがあってもおかしくない。日本における「紅茶の日」、11月1日は日本人が初めて紅茶を飲んだ日ではなく、茶会に招かれた日なのだ。紅茶を飲んだ事実ではなく、茶会という社会的な体験をしたことが重要なのだろう。

それでは、日本で初めて紅茶を飲んだのは誰だろうか。日本の文献で初めて紅茶が登場するのは、大黒屋光太夫が茶会に出席する20年前。茶人、大枝流芳が1756年(宝暦6年)に著した『青湾茶話』に紅茶についての記述が日本最初と思われる。国会図書館デジタル・コレクションから閲覧したところ、筆者の日本語能力では一目見ただけでお手上げの文献であるが、紅茶という文字は見つけられた。一体、どのような経緯で紅茶を手にしたのだろうか。いつ誕生したのかも諸説ある紅茶が鎖国中の日本に紹介されていたとは、かなり興味深い歴史である。

 

アフタヌーンティー文化を作ったのは日本人?

ところで、イギリスといえばアフタヌーンティーが知られているが、この「アフタヌーンティー」という習慣が、イギリスで忘れられていた時代があったというのは驚きである。

1841年、七代目ベッドフォード侯爵夫人アンナ・マリアによって始まったアフタヌーンティーだが、当時は「アフタヌーンティー」という呼び方はされていなかった。午後5時頃のお茶の時間ということから「ファイブ・オクロック・ティー」、低いテーブルを使うことから「ローティー」(食事とともに飲む高いテーブルで飲む紅茶は「ハイティー」)など、様々な呼び方をされ、決まった名称はなかったのである。

午後にお茶を飲みながらサンドイッチやビスケットを食べることを「アフタヌーンティー」と呼び始めたのはブラウンズ・ホテルだと言われている。なんと飲食業界発祥の言葉だったのである。つまり現代でいう「女子会」のようなものだ。女性が数人の友人と集まって外食して、恋愛や仕事のことなど近況を報告し合う、昭和の時代からあった習慣に、平成になって「女子会」と名前がついたことと同じである。まさにアフタヌーンティーとはヴィクトリア時代の女子会だったのである。

 

梅宮創造『英国の街を歩く』(彩流社)

 

ブラウンズ・ホテルをモデルとしているアガサ・クリスティーの『バートラム・ホテルにて』では、このように書かれている。「まったくびっくりするほどたくさんの人たちがお茶を飲んでいる。まさに昔どおりである。一種の食事としてのお茶は、戦争以来、時代遅れとなってしまった。しかしバートラム・ホテルでは明確にそうではないのである」(1986年、早川書房)。古き良き時代を懐かしむ年寄りが逃げ込むのがアフタヌーンティーだったである。アフタヌーンティーが時代遅れだったなんて。BBC制作のドラマでは、ミス・マープルもポアロもお茶を飲むことを忘れないのに。

さらに驚くべきことは、イギリスにアフタヌーンティーを復活させたのが日本人だということだ。1980年代、日本の雑誌で読んだ知識をもって渡英した日本人観光客から「アフタヌーンティーはないの?」と言われたことがきっかけでメニューに加える飲食店が増え、見直されるようになったそうなのである。確かに1980年代に渡英した時にはカフェのメニュー表にアフタヌーンティーの文字はなかった。「イギリスではクリームティーと呼ぶのよ」というのがイギリス通だったから。筆者も出口保夫のエッセイに影響されまくり、ロンドンのカフェで「アヌタヌーンティーはないの?」と聞いたものだ。アフタヌーンティー復活に一役買ったのかと思うと光栄である。タピオカ・ブームもミルクティー好き、紅茶好きに支えられている。海外の喫茶文化にさえ影響を与えてしまう日本人は、自分たちが思う以上に紅茶を愛しているのかもしれない。

 

おいしいミルクティーのコツ

ミルクティーに拘るなら茶葉より牛乳。低温殺菌牛乳がいいとされている。冷たい牛乳をティーカップに多めに入れ、湯気の立った濃い紅茶を注ぐのがおすすめ。

 

 

[ライタープロフィール]

南野モリコ

映画配給会社宣伝部勤務を経てライターに。大学時代、イギリスに遊学したことをきっかけに紅茶の魅力に開眼。リプトン・ブルックボンド・ティースクールで学んだ他、『不思議の国のアリス』『赤毛のアン』他、英米文学作品に描かれる「お茶の時間」を研究する。紅茶、日本茶はじめ世界のお茶を愛し、これまで飲んだお茶は1000種類以上。ツイッター:「モンゴメリ『赤毛のアン』が好き!」